【ヤマル・ガスパイプライン】今回のコロナ騒ぎの直前、今年2月にワルシャワの和風ケーキが注文できる喫茶店 Matcha Tea House で会った知人のエネルギー専門家は「ヤマルはもう終わりだよ」とつぶやくように言った。彼は、長く、ポーランドを代表する経済シンクタンクでエネルギー問題を担当していた人物だった。ヤマル・ガスパイプラインは延長4196キロ、遠い西シベリアのヤマル半島からベラルーシ、ポーランドを通り、ドイツまで過去25年にわたり、天然ガスを供給してきた。

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    ロシアにとってシベリア開発は帝政時代から続く超長期プロジェクトである。ポーランドで発行されているポーランド人向けのロシア語教科書にも、シベリア鉄道の話題が誇らしげに掲載されている

    現在、ロシアの天然ガス輸出全体の15%弱を担っていると考えられるポーランド経由のパイプライン輸出は、今後数年間でゼロとなる可能性がある。
  • ポーランドは、米国、カタールノルウェーなどからLNG液化天然ガス)またはパイプラインによるガス輸入に移行してきており、ロシアからのガス輸入は今後数年間でゼロとなるだろう。
  • EUではエネルギーをめぐってロシアとドイツが結び、ポーランドなど東欧諸国がこれをけん制する構図が出来つつある。

 

世界は原油マイナス価格のニュースに揺れている。不思議なことに、石油メジャーの株価は原油先物がマイナスを示していることにほとんど反応せず、安定しているようだ。その背景としては、石油メジャーにはまだ高値で過去に契約した石油の販売収入が入っている事、石油メジャー自身が天然ガス再生可能エネルギー開発へと経営を多角化させており、そもそも石油収入だけで企業価値が測れなくなっている事が指摘できるという。

 

一例を挙げれば、西シベリアの北極海に面したヤマル半島では、フランスの石油メジャーであるトタル社が液化天然ガスLNG)の開発に乗り出している。本プロジェクトについては、北極海の薄くなった氷を逆手にとって砕氷船で極寒の地のガス、石油を日本、中国を含む世界に輸出しようという壮大な試みであり、日本からも大手商社、国際協力銀行などが資金、技術面で提携をしている。

しかしながら、もともと、ヤマル半島の天然ガス輸出は1970年代、当時の西独とソ連との間で締結された協定により、東西冷戦の緊張緩和(デタント)の一環として、パイプライン経由での輸出が開始された事に端を発している。当時から東の大国、ソ連(ロシア)を懐柔しておいて、脅威が増えないようにと考えていた西独(ドイツ)の対ロシア政策は概ね、現在にも受け継がれている。

1970年代の当時も2020年代の現在もロシア産(ヤマル半島産)の天然ガスの多くはパイプラインを伝い、ロシア、ウクライナスロバキア等を通り、ドイツなど西欧まで供給されている。近年ではこれに、バルト海の海底パイプラインである「ノルドストリーム」も強力な輸送手段して加わっている。しかし、ポーランド経由でロシアの天然ガスを運んでいる、その名も「ヤマル・ガスパイプライン」に関する日本語での情報は少ないようだ。

 

そこで、今回は「知られざる」ヤマル・ガスパイプラインについて、最近の動向をまとめてみようと思う。

そもそも、今現在(2017年)でロシアの天然ガス輸出はどのくらいあるかと言えば、2,309億立方メートル(以下、m3)であり、世界の天然ガス輸出(1兆1,341億m3)の20%を占めている(ジェトロ調べ)。

上記にはパイプラインによる輸出も液化天然ガスLNG)による輸出も含まれているが、欧州への輸出で重要なパイプライン輸出だけを取ってみると、

  • ウクライナ経由:1,420億m3(2014年)
  • ポーランド経由:330億m3(ヤマル・ガスパイプライン)
  • トルコ経由:315億m3(うち、半分はトルコ向け。別名、トルコストリーム)
  • ノルドストリームⅠ:550億m3
  • ノルドストリームⅡ:550億m3(計画、2020年開通予定)

出所:East European Gas Analysis ( https://eegas.com/fsu.htm)、EuRoPol Gaz社(https://www.europolgaz.com.pl/)、ジェトロ資料など参考

などとなっており(いずれも輸送能力であり、実際の輸出量とは異なる)、ウクライナ経由が最大の経路となっている。今年、予定通り、ノルドストリームⅡが開通すれば、反ロ国であるウクライナ経由やポーランド経由の対西欧向け天然ガス輸出は相応に減る事が想定され、とくに、ポーランド経由でのロシアの天然ガス輸出はゼロとなる可能性もある。

 

それを裏付けるニュースが3月末にポーランドで複数配信された。結論を先取りすると、

  • 今後、ポーランドはロシア産の天然ガス輸入を徐々にゼロに近づける。
  • ただし、ヤマル・ガスパイプラインは残るので、西欧の需要家(ドイツ等)にロシアの天然ガスを売るビジネスは数年間の間は続く。
  • ポーランドは、その間、託送権(第三者がパイプラインを借りてガスを消費者まで送る権利)を国際オークションにかけて儲ける。
  • ただし、それもノルドストリームⅡの操業が安定するまでの間の話であり、その後は、ヤマルは使用停止となる、というストーリーが現実味を帯びてきた。

さて、ポーランド天然ガス需要は2019年時点で、187億m3あり、

  • ロシアからの輸入:89.5億m3
  • 国内産出:38億m3
  • LNG液化天然ガス)輸入:34.3億m3
  • その他諸国からのパイプラインでの輸入:24.8億m3

となっていた(PGNiG社:ポーランド石油ガス採掘会社の調べ)。

2015年にポーランドは全ガス輸入の87%をロシアに依存(ヤマル・ガスパイプライン)していたが、この比率は2019年には60%まで下がってきている。一方で、米国、カタールノルウェーからのタンカーによるLNG輸入を急増している。これは、同国北部のバルト海に面したシフィノウイシチェ市に大規模なLNGターミナルが完成した事によっている(その名も、反ロシアで知られた故レフ・カチンスキ大統領の名を冠している)。

そこで、2018、19年にポーランドは米国との間で長期のLNG購入契約を結び、カタールからのLNG供給も合わせると、2024年には120億m3相当の天然ガスが入ってくる予定だ。さらに、2022年からはノルウェーの大陸棚で出る天然ガスデンマーク経由でポーランドまで運ぶ「バルチック・パイプライン」も開通予定で、100億m3相当の天然ガスの確保ができるようになる。そうなると、ロシアからの天然ガス輸入は完全にその必要がなくなる。

 

今後、ヤマル・ガスパイプラインはどうなっていくのか。パイプラインには、その経由国に対して支払う通過料(トランジット料)があり、輸出国(例えばロシア)としては、なるべく通過料が安い国のパイプラインを使用するに越したことはない。ガズプロム(ロシアのガス会社)はポーランド経由には1,000m3当たり8.9ドルを、ウクライナ経由には31.7ドルを支払っていると言われ、断然、ポーランド経由(ヤマル)での輸出が有利だ。

この背景には、2010年、当時のポーランドのパヴラク副首相とロシアのセーチン副首相との間に結ばれた協定があり、ヤマル・ガスパイプラインのポーランド側運営会社の年間利益(大部分は通過料)を500万ドル(2,100万ポーランドズロチ)に制限するとの条項があった事実がある。この協定は2022年末まで有効であり、ポーランドは、2022年まで、ロシア産の天然ガスを年間87億m3購入する義務を課せられている。

ポーランドの新聞(ガゼタ・ヴィボルチャ紙)はこの事態をして、「このようなロシア産ガスの通過料の極端な引き下げは、社会主義時代の習慣を思い起こさせる。あの頃は、ソ連軍のポーランド領内での輸送費を下げたものだった」と皮肉っている。

 

さらに、ヤマル開通前の1995年に結ばれた協定により、ガスプロムが25年間(2020年まで)にわたり、ヤマルの配送能力の大部分、とりわけ、ドイツ向けの天然ガス配送権を独占する事となっている。長年にわたり、ロシアはポーランド経由の安い通過料で大量のガスを大口需要家であるドイツに独占的に配送できたのである。

ところが、日本でも最近行われているように、全世界で、インフラを作った者がその所有権を盾に公共財(電気やガスなど)の供給を独占する事は競争原理(法)に違反するという考え方が主流となりつつある。EUでも1998年から2009年にかけて出された三次にわたる「EUガス政策パッケージ」により、ガスの配送や供給に第三者アクセスを認め、ガス生産者が直接ガスパイプラインを支配する事を禁止している。

EUがヤマルに対して下した決断は、1995年のロシア・ポーランド間の協定はEUの政策ができる前のものであり、2020年まではその効力を認めるというものだった。このような紆余曲折を経て、ヤマル・ガスパイプラインの運営を行うGAZ-SYSTEM社という国有会社がワルシャワに設立され、今年7月1日からはパイプラインへのアクセス権を国際オークションで売却する事になった(すでに国際オークションは去年から開始されていたが、ガス供給の余力部分の売買にとどまっていた)。

 

ロシアのタス通信は、Vygon Consulting社の専門家の意見を引く形で、「ロシアにとって有利なシナリオは、今後、3-5年間はヤマルの配送能力の半分ほどを(オークションで)抑え、必要があれば、オークションで追加輸送能力を買う」事であると述べている。報道では、その後は、ロシアとドイツを海底でつなぐノルドストリームⅡの配送能力がフルに達するので、ヤマル・ガスパイプラインは用無しとなる可能性が出てきたと指摘されている。

さて、先に述べたように、2022年まではポーランドが87億m3のロシア産天然ガスを購入する義務があり、その購入価格は3年に一度見直すことができるとされていた。ポーランド側(PGNiG社:ポーランド石油ガス採掘会社)は2014年に同権利を行使しようとしたが、折り合いがつかず、ストックホルムの国際仲裁裁判所に調停を依頼していた。

今年3月末日、仲裁結果が発表され、ガスプロムポーランド側に15億ドルの差額分(国際価格よりも高い価格で14-20年までの間にポーランドにガスを売った分)を支払う事、との決定が出ている。

 

その歴史的な役割を終えつつあるヤマル・ガスパイプラインだが、必ずしもロシアから西欧へのガス輸出のメインルートではない同パイプラインになぜ、ロシアの主要ガス産出地である「ヤマル」の名が冠せられたのか。

実は、ヤマルが提唱された1993年、欧州経済は非常に厳しい局面を迎えていた。1990年になし崩し的に実現したドイツ統一は、旧東独地域の復興が進まずに早くも失敗と見なされ、1989年に東欧革命で自由を手にしたポーランドをはじめとする旧東側諸国の幸先も明るいとは言い難かった。

当時のポーランドの輸出を見てみると、石炭、木材などの一次産品の比率が高く、頼みの綱とされた外資導入もなかなか進んでいなかった。そこで、社会主義に特有な重厚長大産業のうち、ほんの一握りの技術力があった国営企業がまず民営化され、そのうちのいくつかは外資への売却が成功した。パイプラインの命である鉄鋼の圧延工程を担ったのは、スイス・スウェーデン合弁のABB(アセア・ブラウン・ボヴェリ)社に買収されたザメフ・エルブロング(Zamech Elbląg)社だった。同様に、フランス資本のアルストムポーランド(Alstom Polska)社は、パイプラインの制御・情報処理システムを一手に受注した。当時、ヤマル・ガスパイプラインは、西側の資本とロシアの膨大な天然ガスとを結びつける事ができる、それなりに夢もあり、現実性も高い優良プロジェクトであったのだ。当初の計画では、ヤマル・ガスパイプラインは口径1400ミリのパイプラインを二本建設し、ガス配送能力は670億m3(年間)に達する予定であった。まさに、ヤマル半島のガスを大々的に西側に輸出すための大動脈としてのグランドプロジェクトだったと言ってよいだろう。

 

しかしそれだけに、ポーランドは、ロシア側の無理な要求を多く呑まされた面もあった。もちろん、先に見たようにポーランドストックホルム国際仲裁裁判所を利用し、ガス購入価格の公正化を図るなど、攻めに回る局面もあった。ポーランドとしての最大の防御策は、目下、強力に進められている天然ガスのロシア依存ゼロ化政策であろう。

さらに、ポーランドリトアニアなどと組んで、2016年、ノルドストリームのドイツ国内でのガス配送パイプラインである「オパル(OPAL)」についても、ガスプロムに独占的に認められているパイプライン使用権がEU法違反であるとしてEU司法裁判所に提訴している。同裁判所はポーランドの訴えを認める判決を出しており、すでにノルドストリームで輸送されるロシア産天然ガスの供給量が減っているとの情報もある。

 

天然資源をめぐっては、ポーランドがロシアをけん制しようとする一方で、伝統的な「友好関係」(切りたくても切れない関係?)にあるロシアとドイツが結束を強めるという構図が定着化している。このパワーバランスの中で今後、ポーランドのプレゼンスが高まってくれば、興味深い国際関係が出現してくる可能性がある。

もっとも、それと同時並行して、徐々に欧州が脱化石燃料化していき、ガス・石炭・石油から水素など他のエネルギー源に移行していく事態も十分想定されるだろう。

最後に、冒頭の石油メジャーが経営多角化しているが故に、原油価格の低落にもかかわらず株価を維持しているという説に戻ろう。トタル社の天然ガス戦略など今回は調べる時間がなかったが、エネルギー専門家の木村眞澄氏は、「ロシアのノヴァク(Novak)エネルギー相は、北極海での石油・ガス生産は、油価が$70-100のレンジにあれば採算が取れると発言している」と指摘している。

これが真実であるとすれば、今の価格水準ではヤマル半島産のガスや石油は、どう頑張っても採算が取れないという事になってしまう。本当のところ、何が真実であるのか、エネルギーをめぐる話題は興味が尽きない。

 

参考文献:

木村眞澄(2017)「ロシア北極海の石油・ガス開発の現状」

小山堅(2019)「欧州から見た天然ガスLNG市場の課題」

木村誠(2020)「欧州天然ガス市場を狙う米国の課題」

野村総合研究所経産省「海外のガス事業の状況」

Eastern Europe East European Gas Analysis ( https://eegas.com/fsu.htm)

EuRoPol Gaz(https://www.europolgaz.com.pl/

https://biznesalert.pl/pgnig-wygral-z-gazpromem-rosjanie-beda-musieli-zwrocic-ok-15-mld-dolarow/

http://pgnig.pl/aktualnosci/-/news-list/id/pgnig-mniej-gazu-z-rosji-rosnie-import-lng/newsGroupId/10184?changeYear=2020&currentPage=1

https://biznesalert.pl/raport-spor-opal-polska-gazprom-pgnig-gaz-energetyka/

https://tvn24.pl/biznes/surowce,78/gazociag-opal-gazprom-zmniejszyl-przesyl-gazu,969463.html

https://wyborcza.pl/7,155287,25861999,gazprom-szykuje-sie-do-rozgrywki-o-gazociag-jamalski-w-polsce.html?disableRedirects=true

https://wyborcza.pl/7,155287,24866419,tranzytowe-ulgi-dla-gazpromu-rosyjski-koncern-oszczedza-w-polsce.html