ポーランドに春が来ました。ここ一週間、気温は15度以上です。Przedwiosnieと聞くと、ステファン・ジェロムスキの同名のタイトルの小説と映画を思い出します。

細かい筋を忘れてしまったので、ネットで検索してみました。
すると、以下のような波瀾に満ちた小説だったのです。

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帝政ロシア支配最末期のアゼルバイジャンバクー油田地帯、地方の小貴族であるバリィカ(Baryka)家は、油田技師としてこの地に移り住み、裕福な暮らしをしていた。
折りしも革命前夜、バリィカ家の一人息子、ツェザリィ(Cezary)は共産主義思想に感化され、両親と対立する日々が続く。
やがて、モスクワの10月革命の余波がカフカスまで及ぶと、バクーにはトルコ民族主義的な社会主義革命政権が誕生、バクーの永遠の火の前で愛を誓ったツェザリィのガールフレンドもアルメニア人であったために虐殺され、他の死体と共にロバに乗せられ捨てられていく。彼の盟友であったユダヤ人学生も首吊りの刑に処せられるのだった。
バリィカ家の一族も「階級敵」として収監され、母はカスピ海のほとりの強制収容所で、労働を拒否したため銃殺される。
偽のパスポートを手に入れて祖国復帰を決意したツェザリィと父であったが、父は旅の途上で衰弱して最期を迎える。ツェザリィは、ポーランドの国境地帯の貧困を目の当たりにし、「君たちのガラスの家はあるのか?」(ガラスの家=szklane domyは、家具が何も無く、暖房にも事欠く極貧家庭の比ゆ)と尋ねる。
ツェザリ帰国直後のポーランドは、三国分割を経て独立を勝ち取ったばかり、国会には19の政治政党が乱立し、インフレの高進と共に経済は停滞、労働者によるストが頻発する混乱の極地にあった。それでも、元貴族、新政府の行政官、資本家の生活はそれなりに安定しており、ツェザリィも役所に勤務する傍ら、医学部の学生となることができた。しかし、平穏な日々も長くは続かない。東の国境地帯では、ソ連赤軍が大挙してポーランドに押し寄せ、ポーランド、ドイツの共産主義化を目指して戦争を起こしていたのだった(と言うのもあながち間違いではありませんが、実際にはポーランド側から宣戦しています)。街には、動員令の布告がいたるところに貼られ、ツェザリィも参戦、済んでのところを友人に助けられ、九死に一生を得る。
動員が解除されると、ツェザリィは、彼を助けたヒポリト(Hipolit)の屋敷の食客となるも、長身でハンサムな彼は次々と女性スキャンダルを起こし、終いには、ヒポリトの屋敷から出て行かざるを得なくなり、付近のあばら家に身を隠す。そこで、またしても彼は、貧困に喘ぐ農村の惨状を目の当たりにするのだった。
ワルシャワに戻ったツェザリィは、医学部に復学し、貧しいユダヤ人街に住むうちに、左派の政治運動との関係を深め、当時、ポーランド政府が設置していた政治犯収容所での囚人虐殺の事実を知る事となる。
その頃、ツェザリィを追って、ヒポリトの許で恋仲にあった人妻ラウラ(Laura)が訪ねてくる。二人はワルシャワのサスキ公園で逢い見えるが、それが二人の最後の出会いとなった。
早春の日、ツェザリィは、共産主義者が組織した労働者のデモ行進の中にいた。労働者の群れがベルヴェデーレ宮に近づくと、軍隊による一斉射撃が始まり、ツェザリィも銃弾の前に息絶える。

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どうも、映画版では、ジェロムスキが描こうとしていた戦前のポーランドの貧困と政治的不寛容という重要なテーマが、そっくり抜け落ちていたように思いますが、まあ、それも映画らしくていいのかもしれません(この映画は、3、4年前のものですが、日本公開は多分されていません)。
因みに、2004年に講談社から、皆川博子なるファンタジー作家による、「猫舌男爵」という小説が出ていたようです。
この小説の主人公は、ヤン・ジェロムスキという日本語が今ひとつよく分かっていないポーランド人の日本研究者で、彼が引き起こす翻訳上のドタバタがユーモアたっぷりに描かれているのだとか。
これを読んだら(逆の立場にいる者として)、共感できそうな気がします。ぜひ買わねば。

今日は、朝からグヤーシュを作って、たらふく給べた後、奇妙な夢の世界に落ちていました。昨日も一日中ぼうっとしていて、グレンプ枢機卿ご臨席の下にフィルハーモニーで開かれた「ヨハネ・パウロ2世ご逝去1周年記念鎮魂オーケストラ」に行きそびれてしまいました(ヴェルディのレクイエム)。
カトリックのコア的な音楽祭に物見胡散で駆けつけようとしたのですが、体がだるくて、どこにも行きませんでした。
今日ももう午後6時半です。せいぜい、映画でも行って来るとしましょう。