2005-12-01から1ヶ月間の記事一覧

2006年度の予算案は、マルチンキェヴィチ政権案では、歳入が1942億ズウォティ(約7兆3796億円)、歳出が2247億ズウォティ(約8兆5386億円)であり、財政赤字額は305億ズウォティ(約1兆1590億円)、財政赤字の対GDP比は、−3.8%(EU予測)、−4.0%(OECD予測)と見積もられている(出所: 世銀2005年10月末)。

そもそも、政権発足時には、財政赤字額を「300億ズウォティ」に抑えるとの公約があっただけに、LPR案で示された15億ズウォティ弱の追加的な財政負担を行うことは非常に厳しい情勢となっている。

昨日、国会で「家族給付金法改正法」(Zmiany w ustawie o swiadczeniach rodzinnych)が採択された。改正のポイントは、新生児出産時の出産祝い金の大幅増額であった。ポーランドでは、出産祝い金のことを比ゆ的に「赤ちゃんの前掛け: becikowe」と呼んでおり、新聞の見出しにもこの単語が頻出している。

ポーランドでも少子化は深刻な問題となっており、出生率は、2004年には、全体で1.227%(都市部では1.124%、農村部では1.400%)となっている。これは、2005年度の日本の出生率速報値1.26±%よりも低く、深刻な数字である。 事…

12月24日から26日までは、ボジェ・ナロゼニェ(クリスマス)休暇となる。

知人宅を訪ねて、ワルシャワから南西に350キロ弱、旧ドイツ領のOpole(オポーレ)を訪ねた(行きの電車では4時間半、112ズウォティかかったところ、帰りのバスでは6時間、38ズウォティで済んだ)。 クリスマスイブ(ヴィギリア)の夜、午後6時、…

昨日、遅くにバイト先から寮に戻ると、デイトレーダー業で生計を立ている友人が何やら気色ばんでいる。

訊くと、先月初旬に一緒に買った『ポーランド精銅』(KGHM)について怪情報が新聞に出ている、売りだ、と言う。"KGHM -Akcje najdrozsze w historii" (「ポーランド精銅の株価は過去最高を記録」)と題された記事に目を通してみると、同社株の魅力をたっぷり…

オーストリアの銀行大手クレディタンシュタルト銀(Creditanstalt Bank)が1956年に設立したファンドマネジメント会社であるÖIG(Österreichische Investment Gesellschaft)

と、オーストリア銀(Bank Austria)のアセットマネジメント部門が1998年に統合されて出来た投資銀行。CA-IBという現在名は、単に「Capital Investment Bank」という単語を縮めたものである。中東欧市場の債券市場において重要なプレーヤーと位置づけら…

*[政治]12月17日未明(ブリュッセル時間)、EU25カ国首脳(Przywodcy "25")は、 2007−2013年のEUの中期予算交渉(negocjacja w sprawie budżetu Unii Europejskiej na lata 2007-2013)に決着をつけ閉幕した。

すでに国内でも新聞報道が詳しくなされているが、今回の合意のポイントに付いて、いくつか箇条書きにまとめてみた(なお、以下の内容に付いては、新聞「赤旗」の報道をベースに、現地紙の報道内容を加えさせていただきました http://www.jcp.or.jp/akahata/a…

誰からもほとんどコメントの来ない日記を書き続けるというのも、なかなかストイックで乙なものである。

この週末はほとんど何もしなかった。ただ唯一したことと言えば、件のユダヤ劇場に行って、念願の『屋根の上のバイオリン弾き』(Skrzypek na dachu / Fiddler on the roof)を見に行ったことだろう。久しぶりにお芝居らしい芝居を見て、大いに溜飲が下がった…

ワルシャワから南に100キロ、人口23万の工業都市ラドム(Radom)がある。当地の平均賃金は、2055ズウォティであり、全国平均の2315ズウォティを下回るばかりか、27.2%(全国平均は20.0%)(いずれも数字は2004年)というポーランドでも最高水準の失業率を弾き出している。街の様子を見ても、社会主義時代に建てられた古い建物ばかりが目に付く。

そんなラドムの街に、日本の富山県から東邦工業というベアリング部品を製造するメーカーが進出しているというので、訪ねてみた。 駅からタクシーに乗ること10分、倒産した国営企業ウチニク(Lucznik)社の巨大な工場群が見えてくる。ウチニク社は、192…

朝から陰鬱な気分である。先日、警察官との個人面接も済ませ、いよいよ、ヴィザ発給手続きの第二段階を済ませなければならない。

イミグレを出る頃には午後2時を回っていた。王宮(Zamek Krolewski)の傍で、異様な集団に出くわした。地元のボーイスカウト(harcerz)の青年たちが、社会主義時代のMILICJA(民警)の制服(mundur)に身を固めてたむろしている(民警とは社会主義にロシア語…

ワルシャワに戻ってきてから慌しい日々が続いている。昼間は大学の図書館にこもって、市場経済の導入が本格的に開始された年である1990年の新聞記事を渉猟し、夕方5時から9時までは、日本語学校で秘書のバイトをして過ごしている。

政治経済情勢の分析も、ひとまずはお預けである。さて、人間、面白いもので、時間に追われれば追われるほど、ひと時でも芸術に触れたくなる。土曜日は、朝早くから"Les administrations publiques en Europe -l'etat present et les defis de l'avenir"と題…

いよいよ明日、ワルシャワに戻ることになった。

11月14日(月)に帰国してから3週間、実家にいたことになる。この間、東京に一泊、横浜に一泊、東京に日帰り、茨城北部を日帰り旅行したほかは、ほとんど実家にいて、完璧なニート生活に浸っていた。 最初の一週間は、なんと無しに過ぎ、二週目には、ワ…