ワルシャワに戻ってきてから慌しい日々が続いている。昼間は大学の図書館にこもって、市場経済の導入が本格的に開始された年である1990年の新聞記事を渉猟し、夕方5時から9時までは、日本語学校で秘書のバイトをして過ごしている。

政治経済情勢の分析も、ひとまずはお預けである。さて、人間、面白いもので、時間に追われれば追われるほど、ひと時でも芸術に触れたくなる。土曜日は、朝早くから"Les administrations publiques en Europe -l'etat present et les defis de l'avenir"と題されたフランス語とポーランド語がごちゃごちゃに混じった国際会議に出席、脳味噌に大打撃を受けつつも、図書館へ。黴臭い古新聞と格闘すること数時間、ついに全てを投げ出して、街へ繰り出した。
午後7時からユダヤ劇場(Teatr Zydowski)で、『生きろ、そして死ぬな』(Zyc, nie umierac!)という1930年代のアールデコ全盛期のワルシャワを舞台とした、ユダヤポーランド、ジプシーの伝統とが混淆一体となって華やいでいた時代のキャバレー文化を豪華衣装で再現したミュージカル劇を見るのだ。チケットは一人40ズウォティ(1400円)、ちと高いが、たまには、ポーランド版「タカラヅカ」を見るのも悪くはない。急がないといけない。だが、ついつい、ケーキ屋を素通りすることが出来ずに、チーズケーキのような甘いお菓子、ナポレオンカ(Napoleonka)を買ってしまう。
科学文化宮殿の前まで来ると、先日オープンしたばかりのスケートリンクに黒山の人だかり。ライトアップされた氷上を滑るポーランド美女にしばし見とれていると、もう、時間に間に合わない。タクシーを拾おうか。それも何か癪に障る。
きびすを返して向かった先は、国立フィルハーモニー(Filharmonia Narodowa)。スターリン時代に建てられた社会主義リアリズム建築のお手本のような威風堂々とした建物に一歩入ると、濃厚なコーヒーと香水の香りが迫ってくる。今日の題目は、ベートーヴェンハイドン、正に、このような場所で聴くにふさわしい音楽、しかし、開演時間は午後6時。道路を渡って2ブロックほど先にある小劇場(Teatr Maly)なら、まだ何か面白いものがやっているかもしれない。Wieczor Balkanski -Koncert etno-jazzowy(バルカンの夕べ−民俗調ジャズ音楽のコンサート)、何かよく分からないまま、学割で20ズウォティ(700円)のチケットを購入。開演時間7時15分。ぎりぎりで間に合った。
今日の出し物は、バルカンでもブルガリアの音楽のようだ。コントラバスとタンバリンのお化けのような楽器、アコーデオン、トルコのサズに似たタムブーラ、ブルガリアバグパイプであるガイダなど、初めてめてみる楽器ばかりだった。タンバリン奏者の手の動きが面白い。手のひらで鼓面を撫でて音を出したり、引っかいてみたり、時折、バチ代わりにひん曲がった鉄の細い棒を使ってみたり。彼らは、地元、ポーランドのSARAKINAというグループで、割合、伝統に忠実なレパートリーを披露していたように思う。
続いて現れたのは、カヴァルと呼ばれる笛を操るなかなかの男前、尺八のようなかすれた、だが、意外と大きな音が出た。彼の左にはパーカッション奏者、右手にはグランドピアノ奏者。この男、話もなかなか上手い。バルカン訛りの英語で、しきりにジョークを飛ばしては笑いをとる。ドイツで買ったというプラスチック製の安っぽいハーモニカでブルガリア民謡を弾き出したかと思えば、グランドピアノとのアンサンブルで現代音楽をやり出し、そうこうしている内に、「ブルガリア生まれのアルメニア育ち」という謎の金髪美女まで出現、彼女がボサノヴァ調の歌を英語で歌ったかと思えば、ギャラリーを巻き込んでプントプンプンタラリタリという音だけで出来た歌????みたいなものでコミュニケーション?を取ったり、久しぶりに腹の底から笑わせてもらった。
こんなことを言っては失礼だけど、バルカンには、おかしい人間が多いと思う。小説を読んでも摩訶不思議なものが多いし、ユーゴなんて国は木っ端微塵に爆発して無くなってしまったし、音という音を全て吸い尽くす巨大な真空がバルカンの地図の上をすっぽりと覆っている姿が夢想されて止まない。自分もオリエント・エキスプレスに乗って、夜のしじまの中を、バルカン目指してひた走る旅に出たくなった。