【ヒットチャート検閲と催涙ガスと】ポーランドは再び過去の暗い時代に戻っている。小生が聞き語りや映像、本でしか知らない社会主義時代の人権抑圧が行われている。

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ワルシャワ王宮前、2020年5月17日(日)、午後12時30分頃撮影。土曜のデモが行われタ王宮前も一見すると平静を取り戻している

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王宮から約1キロ離れた国家保安局 (BBN) 前、その周辺の道路では本日(17日)も行われる可能性があるデモに備えて鎮圧部隊が待機している(5月17日午後12時40分頃撮影)

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5月16日土曜、ワルシャワの王宮前広場では、長く続くコロナ対策により経営が悪化している中小事業者のデモが行われた。

そこに警察が介入し、催涙ガス(ペッパーガス)が使用され、十数人が負傷、上院議員のヤツェク・ブリィ(Jacek Bury)も警察に拘束された。ポーランドでは民衆の激しい反体制運動により、社会主義政権が倒れ、1989年の東欧市民革命の嚆矢となる同年6月の半自由選挙が行われた。同国では、民主化後、合法的に組織されたデモに対しては、警察は介入しないことが国是とされてきた。これにより、警察への信頼も回復し、治安維持と社会の安定に大きな効果をもたらしてきた。

国会議員の不逮捕特権はどこの国にもあるが、それも昨日破られた。「上下院議員の任期遂行に関する法律」10条には、「下院議員及び上院議員は下院または上院の承認なくして、拘束または逮捕されることはない」との条文があり、警察も政治家に対しては、酒気帯び運転時の取り扱いなど含め、ずいぶんと手を焼いてきたものだ。

Money.pl(金融系のサイトだが時事問題も扱う)のインタビューに答え、ポーランド南東部の農村・山岳地帯、ポトカルパツキェ県からやってきたある旅行ガイドの話を掲載している:

「私の顔は全面、ガスで焼かれた。1時間の間、目を開けることが出来ませんでした。中小事業者に対して、警察がこんな振る舞いをするなんて考えも及びませんでした。私は、この場にポーランドで今起こっている事態に突き動かされてやってきました。私の子供たちは一杯のコメ粥のために働くことになるでしょう。私は旅行ガイドですが、旅行業そのものが消滅しました。私は一銭も稼いでいません。ただ、労働がしたく、自分の子供を養いたく、税金を払いたいのです。それを警察がこんなに私を扱うなんて。。。」

多くのポーランド国民、とりわけ昨日の事件が起こったワルシャワの市民の間には大きなショックと波紋が広がっている。

同様に昨日、ポーランド国営ラジオ(Polskie Radio)第三放送局(Trojka:トルイカ)では、政権批判の歌を歌った大物歌手Kazik(カズィク)の歌がヒットチャートの最上位から削除される事件が起こった。歌のタイトルは、「あなたの痛みは私の痛みより上等だ」(Twoj bol jest lepszy niz moj:トフイ・ブウ・イェスト・レプシィ・ニシュ・ムイ)といい、4月10日、故カチンスキ大統領の墓参にその双子に当たるヤロスワフ・カチンスキ現与党党首が特別に墓地を訪れた事件を指している。コロナにより一般市民の墓参は禁止されていた時期の出来事だった。

ヒットチャートへの検閲が最後に行われたのは社会主義末期の1984年。ポーランド人で小生と同年代(40歳代)の者の多くは悲しみに包まれた。さすがにこの一件については、エミレヴィチ産業経済大臣がツイッターで「最後に検閲が行われたとき、私は11歳だった。あの削除された曲、悲しげな「これはタンゴだけ:To tylko tangp」の旋律を覚えている」とツイッターに投稿し、この種の検閲は行われるべきではないと強くけん制した。

小生自身、東欧の民主化に興味を持ち、そこから逆に、あれだけ多くの人々を支配した社会主義とは何だったのかという問いに行き当たった。政治の針が逆戻りを始め、あの暗い時代がやってきた。今後も、一人のエトランジェとして、自由が失われていくポーランドの様子を刻々と綴って行きたい。

参考:

https://www.money.pl/gospodarka/protest-przedsiebiorcow-w-warszawie-przepychanki-gaz-i-lzy-6511216090929281a.html

https://wiadomosci.onet.pl/kraj/kazik-o-cenzurze-w-trojce-pogadamy-o-tym-przy-okazji-wywiadu-o-plycie/em053q3