鳴り物入りで完成したワルシャワ駅前のショッピングモール、ズウォティ・タラスィ(Zloty Tarasy)の売り上げが低迷しているという。ズウォティ・タラスィについては、本ブログ号でも酷評しているが、建物の概観は立派でも中身が充実しない新ショッピングモールが、最新モードを追い求める「着倒れポーランド女性」のおめがねに適わなかった事は、もはや疑いようのない事実である。

ワルシャワは現在、建築ブームの只中にあり、地下鉄ヴィラヌフ駅の近くなどでは、富裕層向けに大規模な高級賃貸マンションの建設が進行中だ。だが、新興住宅地の建設、相次ぐ高速道路の整備などは、どこか新興国らしさを感じさせる月並みなテーマである。そんな中で、スウェーデンのReinholdグループがワルシャワ中心部で進めようとしている歴史的建造物(リピンスキ・ビルディング: イェロゾリムスキ通り63番地、マリオットホテル隣)の再生計画は、内装まで含めて完全に戦前の姿を復興するという本物志向のプロジェクトであり、オリジナルのエレベータ、ダンスの間、床の羽目板細工(drewniene lamperie)、瀬戸物製の高級暖炉までそっくりそのまま再現され、内部には高級ブティック・レストランをオープンさせる他、世界的に著名な企業のみにオフィススペースのレンタルも行うという趣向で、その完成が期待される。

さて、ここで、イェロゾリムスキェ通りの物語を少し紹介してみようと思う。イェロゾリムスキェ通りに面して立っていて、とかく、ワルシャワっ子に不評なワルシャワ中央駅(Dworzec Centralny)だが、実は、その目と鼻の先、科学文化宮殿の前にもうひとつ別の「ワルシャワ駅」(Warszawa Srodmiescie)があることはあまり知られていない。この駅は地上部分に2棟のケバブ屋などが入った醜悪な平屋部分を持つ以外は、地下部分に簡素なプラットフォームがあるばかりで、停車する電車も少なく、ホームにはムシロを広げた古本屋などが多い(ここで結構面白い本が買えます)。実は、これこそが、戦前から建造が開始され、1939年のナチスドイツ占領直後に完成した当時としては最新の鉄筋コンクリートモダニズム建築であった「ワルシャワ中央駅」(Warszawa Glowna)の名残なのである。

戦前のワルシャワ中央駅のカラー写真は下記リンク参照
http://img134.imageshack.us/my.php?image=abcen4.jpg

旧中央駅は完成からわずか4年後の1944年、ワルシャワ蜂起の最中に完全に破壊され、付近一帯も完膚なきまでに破壊された。こうして、戦後、旧ワルシャワ中央駅の跡地にはかの有名な科学文化宮殿が建てられ(1956年落成)、当時、引込み用の線路が何本も通っていた付近には現在のワルシャワ中央駅(1975年落成)が建てられることとなり、さらに、体制転換後のドサクサの中でポーランド資本のスーパーマーケットチェーンであるマルコポル(Marcopol)経営の幌付きショッピングセンターが建てられるに及び、ワルシャワ駅付近の景観破壊が完成したのである。

これとは対照的に、ワルシャワ中央駅の向かい側の一区画(マリオットホテル隣からホテル・ポロニアまで続くイェロゾリムスキェ通り(ul. Jerozolimskie)は戦火による破壊を免れ、現在に至るまでクラシカルな外観を残している。この一角は1880年代から1910年代にかけて整備されたもので、ネオルネッサンス(ホテル・ポロニア)やネオバロックアール・ヌーボーといった当時の建築様式を良く伝えている。ただ、非常に残念であるのは、ワルシャワ市内に数少なく残ったこの歴史的建造郡のメンテナンスが非常に悪く、怪しげな貴金属販売ブローカーが跋扈する一角となってしまっていることだ。

Reinholdグループは、全世界で小規模なオフィススペースを賃貸するRegus(リージャス)を展開し成功していることで知られているが、創業者で現会長でもあるReinhold Gustaffson氏のコンセプトは、むしろ歴史的建造物を内装まで含めて忠実にオリジナル状態にまで復元し、高級テナントビルとして転売するという戦略にある。
1990年までに同グループは、西独、スペイン、英国、フランス、ポルトガル、タイなどで高級物件を買いあさり、壁がん(花瓶などを置く壁面のくぼみ)やガラス細工製の扉、高級木材をふんだんに使った内装など古きヨーロッパを感じさせる贅沢な内装を施すことにより他の建設業者との差別化を図ってきた。

そんなReinholdがポーランドで最初に目をつけた物件がリピンスキ・ビルディングであるというわけである。同ビルは1898年に落成後、1920年〜1939年までは戦前の石油メジャーであったスタンダード・ノーベル(Standard Nobel)社のポーランド法人が置かれ、戦後は、ポーランド統一労働者党共産党に該当)のワルシャワ地区本部および大臣級用の住宅として使用された後、長らく、ポーランドを代表する戦車メーカーであるBumar社の社屋として使用されていたものである(2007年2月Reinholdグループが購入)。

今後、同グループでは、ワルシャワで放置されている歴史的建造物の再生に携わるほか、同様の事業をカトヴィツェ、クラクフポズナンヴロツワフでも展開する意向である。
さて、こんな外資による投資計画ならさしものカチンスキ兄弟も大歓迎となるのだろうか?