【ポーランド映画】Pan T. (T氏)

不思議な映画だ。

冒頭で、「この映画は誰かの自伝に基づいたものではない」と字幕が出る。

なので、主人王の名前は「T氏」とだけ明かされ、彼は保安局(スターリン時代に機能していた反革命罪を追求する機関、略称はウーベー)に呼び出されてもPan T (Mr. T)とのみ署名し、周囲の人々も彼をT氏と呼ぶ。

映画は1953年のワルシャワ社会主義初期に開通したばかりの王宮下のW-Zトンネルをバイクが出るシーンから始まる。

映画の宣伝動画は以下から:

https://www.filmweb.pl/video/Zwiastun/nr+1-52215

初老を迎えたジャーナリストであるTは、党の第一書記であるビェルートを心底嫌っている。ある時、ビェルート主催のダンスパーティに招かれた彼はトイレでばったり指導者と出会い、気づかれぬようにオシッコを第一書記のズボンの裾にかけてしまう。

過去1年間、何も出版されず、書く意欲を失いかけたTには、国語の家庭教師をしている高校生の恋人がいる。

このあたりの時代背景、男女模様は、昨年ヒットしたポーランド映画「Cold War」(原語はズィムナ・ヴォイナ)に酷似している。画面が白黒である点もそっくりだ。

 

ある日、Tは出版社を訪ね、女性編集長に自らが考案中の小説のさわりを語る。その中の何気ない一節が彼女の猜疑心をあおり、危うくTは投獄か銃殺される道へと嵌りそうになる。

チェコの作家、ミラン・クンデラの小説「冗談」、80年代のユーゴ映画、「パパは出張中」の物語をほうふつとさせる内容だ。

さて、Tは、社会主義時代によくあった、国家が知識人に対して支給した「芸術家と文筆家の家」(Dom Artystów i Literatów)の簡素な一室に住んでいるのだが、隣室の文筆家がほぼ唯一の友人だった。

その友人は、レーニンを称える詩を作家協会で朗読し、ようやく、「労農階級」(クラーサ・ロボトニーチョ=フウォプスカ)の作家として認められそうになるが、保安局に呼び出しを受け、Tは才能ある文筆家であると擁護し、成功を前にして一人「芸術家と文筆家の家」を去っていく。

 

何もかも失ったかに見えたTであったが、再び、ダンスパーティでビェルートとトイレで出くわし、今度は、党第一書記が吸っていた「ウズベキスタン党第一書記」(ピェルフスィ・セクレターシュ・ウズベキスターヌ)からもらった「伝統的なたばこ」を吸ってみろと勧められる。もちろん、タバコの中身は麻薬であったろう。

このオシッコをするシーンは映画の中であと一回、決定的なシーンで用いられるのだが、それは伏せておこう。

映画の中でTは男前で女性に大変モテる設定なのだが、その実、党第一書記だったビェルートも大きな指輪を嵌め、お洒落には余念がなく、多くの女性遍歴を重ねた。

その女性遍歴の変わり目がTの運命と再び交差する事となり。。。

 

同じような時代背景、同じように政治に翻弄された男女の恋愛を描いた白黒映画の「Cold War」と「Mr. T」。

小生は、前作を森に囲まれた旧貴族の屋敷であるウヤズドフスキ宮殿で、後作をワルシャワ北部の巨大商業施設内にある外国資本の映画館で観たのだが、後作の方が清々しい印象だった。

ちょうど、件のショッピングモールから通り二つ隔てたポヴォンスキ墓地(ツメンタシュ・ポヴォンスコフスキ)にはビェルートの墓があり、社会主義体制が崩壊して久しい現在、墓は赤いペンキで汚され、落書きもされていたように思う。

さる年の秋口、小生が興味本位で墓に近づいていくと、どこからか初老のご婦人が小さな花束を供えにやってきていた。

一瞬、ビェルート第一書記のことを何か個人的に知っているのかと語りかけようと思ったが、自制心が働いた。

今もってスターリン主義者として否定されているビェルートが、もし今日の映画を見たらなんと言っただろう。

たぶん、いい映画だといったような気がする。