ワルシャワから南に100キロ、人口23万の工業都市ラドム(Radom)がある。当地の平均賃金は、2055ズウォティであり、全国平均の2315ズウォティを下回るばかりか、27.2%(全国平均は20.0%)(いずれも数字は2004年)というポーランドでも最高水準の失業率を弾き出している。街の様子を見ても、社会主義時代に建てられた古い建物ばかりが目に付く。

czarnykint2005-12-18

そんなラドムの街に、日本の富山県から東邦工業というベアリング部品を製造するメーカーが進出しているというので、訪ねてみた。
駅からタクシーに乗ること10分、倒産した国営企業ウチニク(Lucznik)社の巨大な工場群が見えてくる。ウチニク社は、1925年創業の武器メーカーからスタートし、高性能で知られたRADOM-VIS-WZ1935型ピストルを開発、第二次大戦中はナチによる接収を受け、結局、このピストルがナチドイツ軍の標準装備に採用された歴史を持つ。戦後は、火器の生産を続行する一方、その高い技術力を背景として、民生用ミシン、タイプライターの生産にも乗り出し、70年代には、ミシンは米国シンガー社から、タイプライターは西独ジーメンス社から生産技術のライセンス供与を受けるなど、言わば、社会主義の優等生企業として、また、ラドムを代表する国営企業として君臨していた。
そして迎えた体制転換、ポーランドコメコン市場依存の貿易体制から脱却し、一挙に世界市場へと門戸を開くと同時に、西側から型落ち品や中国・アセアン製の安い耐久消費財流入、ウチニク社の製品は急速に競争力を失っていた。ついに、2001年、火器生産部門を残して、ウチニク社は倒産した。時を同じくして、ウチニク社の正面ゲートには「Tarnobrzeska Specjalna Strefa Ekonomiczna -Podstrefa Radom」(タルノブジェグ経済特区ラドムサブエリア)の真新しい看板が据え付けられた。ポーランド政府は、同社の倒産を見越して、残されたプラント、事務所などの会社資産の有効利用と失業者の救済を賭けて、特に、ウチニク社の敷地を対象として、法人税・固定資産税の時限付き免除措置を特定の地域に対してのみ許可した「経済特区法」の適用を決定したのである。
これにより、ウチニク社の敷地は見事に再生、2005年現在、16社もの製造業メーカーが「工場長屋」式に、旧ウチニク社の生産設備を共有している。その一角を占めるのが、東邦工業であり、同社の隣には、フランスとポーランドの合弁企業(ガラス生産)が入っている。そもそも、東邦工業では、先にポーランドに進出していた取引先のNSK(日本精工)社の要請を受けて、進出を決定、既存の生産設備の利用と免税特権の享受が可能であった同経済特区を進出先に決定したという(2002年)。当初、6名から出発したプラントも今や従業員数100名を超す規模となり、更に、同経済特区内で工場廃屋を買い足して、生産規模を現在の3倍にまでに拡大するという。
同社では、ポーランドのほかにインドにも進出しているが、通訳に携わってくれたのは、ワルシャワ大学日本語学科を卒業して日本語とヒンドゥー語に堪能であるという才媛であった。
うらぶれた工業都市の行く末にひとつの希望の火を見た。