最近、連日、ポーランドの500大企業データベースをいじりながら、外資系企業の経済指標をエクセルシートに打ち込んでいる。まったく、反吐の出るような作業だ。

ウォッカ無しにはできない作業。それでも、ストレスが溜まる。
昨日は、ひととき、作業を離れて、市中心部にあるフォクサル通り(ul. Foksal)という短い通りを訪れた。
お目当ては、通り沿いにあるフォクサル・ギャラリーで開かれているドイツ人写真家の個展であったが、あいにく、土日は休み。しかし、通りを歩いてみると、ルネサンス風、或いは、エリザベス朝風の瀟洒な建物が多く、フィリッピン総領事館、キャバレー「サバト」、高級レストラン「ヴィラ・フォクサル」などが軒を連ねている。今の姿からは想像もできないことだが、先の大戦中には、ここに赤十字病院があり、数多の負傷者が担ぎ込まれていたという。
田口雅弘氏の主催するホームページ「ポーランド情報館」(http://www.e.okayama-u.ac.jp/~taguchi/)に納められている、『戦後ポーランドの文化を語る: 回顧と展望 コワコフスキ、ミウォシュ両氏に聞く(聞き手 工藤幸雄)』というエッセー中で、ミウォシュがフォクサル通りについて、以下のように述懐している。少々長いが、戦時下のワルシャワの雰囲気をよく伝えていると思われるので、引用してみる。

「戦争中は組合活動は凍結されていたが、フォクサル通りの組合食堂に作家たちがよく集まり、また共済活動も活発に行われていた。戦争中にしか表面に出てこない種類の人間というものがいる。忘れられないのはジグラルスキ氏で、新聞記者だったと思うが、戦前は無名だったが戦時中、金融活動などの面で積極的に活動した。ワルシャワ市の金庫から作家たちに融資できるようにしたのは彼だ。この金を借りる時には、誰も返すことは考えていなかった。というのも、ともかく戦争がどう終わるのか誰にもわからなかったからだ。白状するが、私はバカなことをした。借りた金を戦後全部返してしまったのだ。地下で「作家の夕べ」といった催しも盛んだったし、もちろん作家本来の仕事を進められていた。」

中欧諸国の首都の中で唯一、戦時中、完膚無きまでに破壊されたワルシャワ。過去と現在が不思議に交錯する街で、幾つもの歴史の断片がひょっこり顔を覗かせている。