今から1、2年ほど前、SLD(民主左翼連合)政権の末期には、様々な政治疑獄事件が明るみに出ては、十分な真相解明が行われないまま、迷宮入りとなっていった。

ワルシャワの南西にプルシュクフ(Pruszkow)という小さな町がある。ここを拠点に活動していたギャング団、「プルシュクフ一味」(Gang Pruszkowski)がSLDに対して、宝くじ業から得た資金の一部を「みかじめ料」(haraczy)として上納していたのではないかとの疑惑もその一つだった。
この一件の捜査に、ワルシャワ地方検事局組織犯罪課の一員として加わっていたのが、カタジナ・S(Katarzyna S)検事だった。ポーランド東部ルブリン出身のS検事は、同郷出身のグジェゴシュ・クルチュク(Grzegorz Kurczuk)が法務大臣職を務めていた時に大抜擢を受け組織犯罪課に配属、マネー・ローンダリング(pranie brudnych pieniedzy)取締法の原案を執筆するなど、急速に頭角を現しつつあった。
そんなS検事の名声が地に堕ちたのは、2004年の大晦日(Sylwester)を、事もあろうか、プルシュクフ一味関係者と祝っている姿を有力雑誌フプロスト(Wprost)にスクープ記事にされたときであった。その後、S検事は退職、苗字も変えて生活していた。
ここへ来て、S検事がスイスの銀行口座へ不正送金(マネー・ローンダリング)を繰り返していたことが、当局の捜査ではぼ確実となった。彼女の協力者であったと目されているのは、ヴァルデメル・J(Waldemer J)なる男で、彼は、ボグダンカ炭鉱(Kopaln Bogdanka)の副社長職にあった2003年に、総額250万ズウォティ(当時のレートで約972万ドル相当)に上る贈賄容疑で逮捕されるに至ったものの、150万ズウォティ(同580万ドル相当)という記録的な保釈金(kaucja)の支払いを受けて釈放されている。そして、この保釈金を支払ったのが、当時から現在に至るまで、同炭鉱社長の座にあるS検事の父親その人だったのである。
ミイラ取りがミイラになる、S検事の転落人生は、正に、この言葉を地で行ったものだった。ポーランドでは、政治の腐敗に立ち向かう側に立つはずの人間による背信行為が後を絶たない。ポーランド政治はこのまま、「イタリア化」への道をひた走る運命にあるのだろうか、、、、