リベラル派の『共和国』紙が、右派PiS政権への攻勢を強めている。目下、同紙が全力で取り組んでいるのが、国庫省大臣アンジェイ・ミコシュ(Andrzej Mikosz)にまつわる疑惑解明である。

1月3日付けの同紙トップ記事は、2002年、ミコシュの妻であるクリスティナ(Krystyna)が、ポーランドの代表的な金融マフィアの一人、ヴィトルド・W(Witold W.)なる人物に、個人財産から30万ドルを委託、資産運用を任せていたのではないか、と報じた。
ヴィトルド・Wとはいかなる人物なのだろうか? そして、大臣の過去には何があったのだろうか?

ヴィトルド(36歳)は、80年代末期にグダニスクのバザールのレコード売りから身を起こし、次第に、両替商として才覚を現していった。91年(21歳)には、コンティ(Conti)なる両替チェーンを開設、グダニスクでマフィア界のボスとして君臨していた通称「ニコシュ」ことニコト・スコタルチャク(Nikod Skotarczak ps. Nikos)の金庫番として活躍するまでになった。コンティ社は、後に警察の手入れを受け(95年)、多額の隠匿外貨と共に、マネーローンダリングに使用されたコンピュータソフトも没収されたが、当時、コンティ社の共同経営者として逮捕されたのは、ピョトル・ザレスキ(Piotr Zaleski)、アミルカル・ノヴァク(Amilkar Nowak)の両名であり、すでに、ヴィトルドの姿は無かった(第4番口座事件: Sprawa Kasy nr 4)。
この頃、ヴィトルドは、一部富裕層やマフィア、政治家を資金源として、金融界を舞台に、もっと大きな闇ビジネスに手を染めていたのである。
彼の強力な助っ人として現れたのが、当時、オーストリア系のライファイゼン銀行(Raiffeisen)ポーランド法人の証券投資部長を務めていたヤヌシュ・ラザロヴィチ(Janusz Lazarowicz)であった。ヴィトルドは、投資に失敗し処分に困っていた株券をラザロヴィチを介してライファイゼン銀に売却、98−02年の間に、同行が蒙った損害額は少なくとも600万ズウォティに達するとされている。更に、二人は共謀して、ライファイゼン銀が保有していた携帯電話大手のProkom社の株式の一部を、複雑な取引を偽装して、ヴィトルドの母であるレギナ(Regina W.)の個人株式口座に移動させていたことも分かっている(この取引を実行したのは、同じくオーストリア系のCAIB銀であることが判明しているが、現在までのところ、CAIB側はノーコメントを通していると言う)。*
そんなラザロヴィチが、法律上の相談役として重宝していたのが、金融訴訟に強いことで知られる米国系法律事務所Weil, Gotschal & Magnes社の辣腕弁護士として活躍していたアンジェイ・ミコシュ(Andrzej Mikosz)、現国庫省大臣その人であった。こうして、国庫省大臣−ラザロヴィチ−ヴィトルド・Wという線が繋がったのである。*

ある弁護士が、ラザロヴィチのような人物を擁護できるということは、その弁護士の力量を如実に示すことに繋がり、賞賛されるべきことである。彼のような一癖あるが、金融界の裏も表も知り尽くした人物を、市場との対話が重視される国庫大臣という要職に就けた現政権の人選についても、「適所適材」であったと評価して良いだろう。
しかし、政治家としてのクリーンさという観点から見ると、職務上知り得たラザロヴィチの伝手を利用して、ヴィトルド・Wのような「渦中の人物」に自己資金の運用を任せてしまったという過去は、致命傷ともなりかねない。

『共和国』新聞は、国庫省が株式の一部を保有している「ポーランド石油・ガス会社」(PGNiG)の某大株主(女性)の背後にもヴィトルド・Wが居るらしいことを突き止めている。
ミコシュという人物にフォーカスしてみると、ポーランド金融界の闇の部分が明らかになって来るかもしれない。
今後とも、「ミコシュ研究」はシリーズ化して配信していきたい。