ワルシャワ郊外にジェラニィ(Zeran)という地区がある。ここには、戦前からフィアット社の自動車組み立て工場があった。戦後は、「個人用自動車工場」(FSO)という素っ気の無い名前に改名して、フィアットからライセンス供与を受けたセダンを生産していた。

FSO社も、体制転換後をさまよい歩き続ける企業の一つである。同社の最近の歩みを纏めてみた。

1988−89年
ダイハツルノーが経営参加も含めた提携話を打診。
とりわけ、ダイハツは、ポーランドを拠点として、フル車種生産体制を敷き、一挙に東欧市場というニッチに躍り出る野心的な計画を立てていた。ダイハツ進出の話は、87年の中曽根首相ポーランド公式訪問あたりから出ていた話だった。続いて、体制転換直後の90年1月13日には、衆院総選挙を控えた正念場とも言える時期であるにも関わらず、海部首相、中山外相がポーランドを訪問した(これには、米国一辺倒ではない日本の独自外交を内外に示す狙いがあったと言われる)。
しかし、この頃が、ダイハツ進出話のピークだった。ポーランド政府が日本政府向けの対外債務放棄を迫ってきたことが大蔵省(当時)の逆鱗に触れ、輸銀(当時)の融資を受けられなくなったダイハツは、泣く泣くポーランド進出話を反故にしたのだった。

1989年12月
米国GM社が初接触。以後、しきりに提携話を持ちかけるようになる。

1991年7月
シトロエン社が包括的な提携を打診。しかし、FSO向けに1.9ℓエンジン(ポロネーズ搭載用)を供給するに留まる。

1992年2月
GM社とポーランド政府とが趣意書(Letter of intent)仮調印(本調印は93年12月5日)
・年産3万5千台体制(オペルのアストラを主として生産)
・94年8月までに生産開始
オペルの組み立てだけでなく、従来車種のポロネーズの後発モデル開発も行う
・国内部品メーカーの育成にも尽力する

1995年4月
GM社がポーランド政府に書簡送付。同社がオペルの現地組み立て事業のみに関心があることを明文化(これはFSO社に対する絶縁状でもあった)。
直後から、GM社は、ポーランド国内に新工場の建設用地探しを開始。96年、南部のカトヴィツェに、進出企業に対して法人税を10年間免除する経済特区(Specjalna strefa ekonomiczna)が設置されるとの情報をキャッチ、自社の工場建設予定地を強引に経済特区に組み込ませることに成功。

1995年8月16日
テウ(大宇)社とポーランド政府とが趣意書に仮調印
・テウ社はFSO株の60%を取得(10%はFSO社従業員に無償で配布、10−15%は国庫 省が保有、残余は、新会社POL-MOT社が保有
・01年までに投資計画を完了
・年産50万台体制(うち、20万台は新型車種とする)
・新型車種とは、LANOS,NUBIRA,LEGANZAを指す
・部品の60−80%はポーランド製を使用する
EUのローカルコンテント規制のため、これ以下の部品装着率では、ポーランドから無関  税でEU市場に輸出が出来ない
(ただし、実際に生産を始めてみると、テウ社でも当初はこの基準を満たすことが出来ず、 部品装着率を偽って無関税輸出を行っていた。EU側からの度々の警告に対して、ポーラン ド政府はテウ側をよく擁護した)
・新型エンジン・新型トランスミッションポーランドで年間30万基生産
・99年までポロネーズの生産を継続

1995年11月14日
ウ社ポーランド政府とが趣意書に本調印
・6年間で11億2100万ドルの投資を行うことを義務付け
・3年間は労働者の解雇をしないことを確認
・98−99年にかけて、新型車種の生産開始
⇒シチェルスキ(Scierski)産業・外国貿易相(当時):
ポーランド自動車産業にとって世紀的な契約」(Kontrakt stulecia polskiej   
 motoryzacji)と評価

1997年秋
計画を前倒しして、LANOS, NUBIRA, LEGANZAの生産開始

1998年
国内新車販売台数で一挙に二位に躍り出る(一位はフィアット社)
*ちなみに、2005年は、一位シュコダ社(チェコVW系列)、二位トヨタ社だった。
小型車MATIZの生産開始
年末までに累積投資額10億2000万ドル達成。ほぼ3年間で当初の投資計画(6年間)の太宗を実現

2000年
年末までに累積投資額15億ドル実現(当初計画+約4億ドル)
ウ社倒産

ウ社の生産台数推移:

95年(GMによる生産台数) 8万8891台
96年(テウ生産開始)   9万7029台
97年          11万9874台
98年          16万1111台
99年          20万台以上生産  

正に破竹の勢いで、テウ社ポーランドでの生産台数を拡大していった。
ウ社の倒産後、韓国の本体はGM傘下(GM-DAT: GM-Daewoo Auto & Technology)に入ったが、ポーランド工場は放棄された。テウ社ポーランド法人の債務は、ポーランドの銀行に対しては、6億ズウォティ、テウ本体および韓国輸出入銀に対しては合わせて36億ズウォティに達していた。
2001年12月には、再起を期して、新会社「New Small Company: NSC」が立ち上がり、テウ・ブランド車の生産を継続しながら新しい提携先を探すこととなった。
2002年5月、BMW傘下にあった英国のローヴァー社が本格提携に名乗りを上げるが、、、
今度は、栄光のローヴァー社そのものが倒産してしまった。
その後、FSO社は次第にウクライナのAwto ZAZ(ロシア語ではザポロジュスキィ・アフト・ザヴォード、ザポロージェ自動車工場)との連携を深めて行くことになる。つまり、ZAZ社がポーランドからテウ・ブランドの完成車を輸入、ウクライナ、ロシアで販売するというルートが確立されたのである。
2005年6月30日、ついに、ZAZ社とポーランド政府との間で趣意書の本調印が行われた。主な内容は以下の通りである。

・ZAZ社はFSO株の19.9%を取得し、FSO社の株主総会(Walny Zgromadzenia    
 Akcjonariuszy)では議決権の84.31%を行使する。
・5年間は現雇用人数(2200人)を維持
・2006年中に新車種を投入する
・5年間で約8000万ユーロの投資を行う

現在、すでにFSO社製自動車の90%はZAZ社に納入されており、ZAZ社は部品購入目的のクレジット供与、FSO社が抱えていた対ポーランド銀行向け債務の買い戻しも実施し始めている。  

このところ、FSO社の年産台数は5万台を切って低迷しており、新車種生産は正に喫緊の課題となっている。FSO社では、Lanos T-100モデルおよびMatizモデルの生産を行っているが、T-100モデルはすでに陳腐化しており、早々に生産打ち切りとなるとの観測もある。
共和国新聞(1月6日)は、GM本体がFSO社でシヴォレー車の生産を検討していると報じている。目下、有力候補とされているのが、AveoとLacettiの生産である。実はこの車、シャシーはLanos T-100を踏襲しており、FSO社での生産に然したる問題は無い。
ただし、これで揉めに揉めたFSO社の経営再建が軌道に乗るかどうか、まだ予断を許さない段階にある。

追記:
ZAZでは、Lanos T-100モデルの後続モデルであるT-150の生産を昨年12月にスタートさせた。
ZAZでは、T-150をテウ・ブランドとは切り離して、シヴォレーの代理店で販売し、名称も「Lanos Chevrolet」として、特にロシア市場での販促に期待をかけている(Lanos T-150には、ポーランド製、ウクライナ製の部品も多数搭載されており、FSOも部品納入している)。
ガス問題で揺れたウクライナ−ロシア関係だが、ZAZの背後には米国資本が居るのでロシアへの無関税輸出が可能となっているのである。
ZAZでは、Lanos Chevroletのロシア市場での販売台数目標を06年は2万5千台に設定している。
かってのコメコン市場の崩壊から15年、FSO社−Awto ZAZ社の提携が、新しい形でのポーランド−CIS間の経済関係構築の布石となれば、大変に面白い研究対象になるのではないかと考えている。