どこの国でも石油産業というものは、利権にまみれて全体が把握しにくい産業のひとつだろう。

産油国でないポーランドもその多分に漏れない。
なにか面白い記事はないかとネットを漁っていると、「シェミョントコフスキがJ&Sに勝った」(http://www.wprost.pl/ar/?O=89649&C=73)と題するフプロスト誌の最新記事が出てきた。
このJ&Sという会社、2004年にポーランド政界を揺るがした一大疑獄事件、「クルチク・ゲート」でも、その存在が見え隠れしていた怪しげな会社である*。
ポーランドの石油精製最大手企業と言えば、ワルシャワ証取にも上場しているPKN Orlen社である。この会社は、石油精製のPKN社と石油小売のCPN社が1999年に合併して誕生したもので、以前は、それぞれ別会社だった。
このうち、常に黒い噂が絶えないのは、石油精製のPKN社のほうである。今をさかのぼること、約50年前、ソ連は東欧支配のための「アメとムチ」の前者に当たるドルージュバ・パイプラインを竣工した。西シベリアの油田地帯からベラルーシウクライナポーランドを経て東独にまで至る一大生命線が築かれたのである。PKN社(当時の社名は、Petrochemia Plock社といった)の設立は1959年、まさに、同社の歴史はドルージュバ・パイプラインの開通と共にあったと言ってよい。さて、社会主義時代には、PKN社は、国営のCiech社を通じてパイプラインから原油を購入していた。ところが、体制転換後の1993年から同社は、当時まったく無名であったJ&S社を仲立ちにして原油購入を開始、1995年には、ついに、Ciech社との契約を打ち切り、ほとんど全ての原油供給をJ&S社に頼るようになった。このころを境として、J&S社の共同経営者が両名とも旧ソ連出身者であったことから、ポーランドの石油産業がロシアによってコントロールされるのでは、との懸念が広がっていった。
2004年にPKN Orlen社が戦略投資家に売却されることが発表されると、ロシア資本による同社の買収が一挙に現実化し、「クルチク・ゲート」に繋がる水面下での働きかけが活発化することとなった(脚注参照)。結局、Lukoil社は、同社の買収を断念し、ロシア資本、元KGBエージェント、J&S社、政商ヤン・クルチク、クファシニェフスキ大統領を一本につなぐように見えた糸も闇の中でプツリと切れてしまった。
ここに来て、ほとんど世論から忘れ去られていたJ&S社の名前が、再び小さくではあるがメディアに登場したのは、J&S社の最高幹部、グジェゴシ・ヤンキレヴィチ(Grzegorz Jankilewicz)とヴィエチスワフ・スモウォコフスキ(Wieczeslaw Smolokowski)が、名誉毀損罪で「対外情報庁」(Agencja Wywiadu / the Foreign Intelligence Agency)の前長官ズビグニェフ・シェミョントコフスキ(Zbigniew Siemiatkowski)をワルシャワ地裁に訴えた事件の判決が4月末日に出たことによる。
これは、2004年にラジオ放送で、シェミョントコフスキ長官が、「J&S社は、ロシア側に立って交渉を進めていた者の手中に、PKN Orlen社が落ちるよう画策する目的で作られた会社だった」と述べたことにより、自らの感情が著しく害された(poczuc sie urazeny)として、同長官に対する謝罪を求めて、両名が訴えを起こしたものだった。
判決は、両名の敗訴となり、長官は謝罪の義務を免れたが、そもそも、同長官は、「クルチク・ゲート」の捜査に当たって、「わが国の政治家に政治献金が渡った事実は確認できなかった」として捜査を打ち切っている。
J&S社の二人にとっては、今回の判決も面白くないものには違いないだろうが、権力を汚辱っているようにしか思えない厚顔ぶりにも、いささか呆れたものである。

どうも、ポーランドの新興成金の中には、彼らのように尊敬できないタイプの人間が多い。
歴史を振り返れば、資本主義の黎明期には、多少の違法行為も厭わずに財を成した人間が、まず社会の指導的な地位に上ってくる事になっている。
彼らの中から、いつか、真の企業人が生まれてくることを期待したい。


* ポーランド石油精製最大手、PKN Orlen会社の株式を一部保有する政商、ヤン・クルチクが、2003年にウィーンで著名なロシアのスパイ、ヴラジミール・アルガノフ(1981年〜1992年までワルシャワKGBのエージェントとして活躍)と密会。ロシアのLukoil社が、PKN Orlen社の政府保有株売却入札に成功した場合、総額500万ドルの賄賂をポーランド政府・ポーランド財界関係者に提供するとの政治工作をクルチクが仲介、これに、当時のクファシニェフスキ大統領、ミレル首相が関与していたのではないかとされる事件(The Economist, Oct. 21st 2004, p. 49)。

** J&S社幹部の経歴
グジェゴシ・ヤンキレヴィチ: 1954年、ドニェプロペトロフスク(ウクライナ)生まれ。モスクワ化学・工業大学および音楽学校卒。
1980年代半ばソ連出国、1992年にポーランド国籍取得。
西ベルリンでテレビ・家電の小売業を起こして成功、1993年、J&S Service & Investment社を通じて、PKN社への原油販売を始める。現在、J&S社は、ポーランドで10以上の企業を登記し、キプロス、ロシア、スイス、ルクセンブルクにも現法を設立。年間2300万トンのロシア産・カザフ産原油ポーランドチェコ、ドイツ、旧ユーゴ諸国、スウェーデン、イギリス、オランダ、米国、スペイン、中国(去年から)に向けて輸出している。
2004年にJ&Sグループの年商は100億ドルに達した。2005年には、フプロスト誌の長者番付で全国第8位、中東欧長者番付では第68位、個人資産は15億5000万ズウォティ

ヴィエチスワフ・スモウォコフスキ: 1954年、ザポロジェ(ウクライナ)生まれ。モスクワ高等音楽院卒。1986年よりポーランド滞在、1993年、ポーランド旅券所得。フプロスト誌の長者番付で全国第9位、中東欧長者番付では第69位、個人資産は15億5000万ズウォティ

なお、J&S社の株主構成は、
グジェゴシ・ヤンキレヴィチ(30%)
ヴィエチスワフ・スモウォコフスキ(30%)
Marco Dunando & Daniel Jaegg(ジュネーヴの石油ディーラー、両者で30%)
Pavel Pojdel(スイス国籍のチェコ人)& Vadima Linecki(ロシア人)(両者で10%)
であると言う。