このところ、中欧では自動車産業を巡る動きが活発化している。4月28日夜、ソウルにて現代自動車会長の鄭夢九(チョン・モング)が贈賄疑惑で逮捕された。読売新聞は、「絶大な権限を持つオーナー経営者の逮捕は、世界展開を進めるグループにとって、大きな打撃になるのは必至だ」(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060428-00000514-yom-int)とまで報じている。

現代自動車は、チェコで2008年10月を目処に、チェコ史上最大規模のFDI案件となる総額10億ユーロ規模の投資を行い、年産30万台体制の自動車工場を建設する予定であるが、翌29日付けのGazeta Wyborcza紙に拠れば、早くも、チェコ政府筋は、工場建設計画に大幅な狂いが生じるのではないかとの懸念を強めていると言う。
同工場の稼動により、3000人の雇用が生まれるほか、チェコGDP成長率を年平均で1.3%も押し上げる効果があるとの試算が出され、チェコ政府は、同社プロジェクトに対して、総額で2億ユーロにも上る減税措置を行うことを発表していた(Neewsweek Polska誌06年4月9日号)だけに衝撃は大きい。
現代自動車チェコ工場起工式は5月上旬に予定されているが、ソウルからの代表団が未到着であるとの情報も一時的にウェブ上に現れ消えた。
Gazeta Wyborcza紙は、鄭会長の長男にして、現代自動車傘下の起亜自動車社長のChung Eiu-sunにも逮捕が及ぶ可能性があるとしている。起亜自動車は、スロヴァキアで大規模な自動車工場の建設を進めている。大宇自動車ポーランド事業失敗の記憶が蘇えるのは私だけではないだろう。

現代自動車を巡る情勢が風雲急を告げるものであるとすれば、ポルシェ社の最大株主であるフェルディナンド・ピエフ(Ferdiand Piech)が虎視眈々と狙うフォルクスワーゲン社の支配は、水面下で静かに進行している動きである(Newsweek Polska誌4月9日号)。
ピエフ(オーストリア国籍)は、ポルシェ社創始者のフェルディナンド・ポルシェ博士の孫に当たり、ポルシェ社の最大株主(13.2%保有)にして、フォルクスワーゲン社の監査役会メンバーである。今年3月にポルシェ社はフォルクスワーゲン社の発行済み株式の21.8%を取得し、ニーダーザクセン州政府の持ち株比率を上回った。これを受けて、ドイツ経済界では、ピエフの辣腕経営こそが、凋落著しいVW社を救う唯一の道であるとの声が高まっていると言う。
これに強硬に反対しているのが、1993年に週4日労働制を導入し、同時に、2011年までの雇用保護を決定し、痛みを伴うあらゆる改革を反故にしてきたニーダーザクセン州政府とVW社労組である。
ここで思い当たるフシがあった。VW社では、1993年からポーランドでの現地生産を行い、累積投資額は8億7310万ドル(2004年末、PAIiIZ)に達し、生産台数は、2003年の4万台から一年後の2004年末には12万1536台へと急伸(うち、Caddyが6万2252台、T5が5万9284台を占める)している(国際自動車生産者組織: OICAホームページ)にも関わらず、去年、突如として、ポーランドポズナニ)工場でのT5生産がストップし、同社ハノーヴァー工場へと生産が移管されることとなり、ポーランド工場で若干の首切りが行われたのである(ジェチポスポリタ紙)。
通常の企業戦略では考えられない事態の発生に首をひねる事しきりであったが、その背景には、この「93年協定」があったとすれば合点が行く。
Newsweek Polska誌によれば、2004年にはポルシェ社は、7億7900万ユーロの純益を計上し、2001年実績の約3倍を記録した一方、VW社は、過去5年間で利益幅を縮小し続け、2001年の純益が29億2600万ユーロあったところ、2004年にはその4割にも届かない11億2000万ユーロの純益を計上するに留まった。
同誌の指摘するところに拠れば、VW社が活力を取り戻すためには、少なくとも20%の従業員カットが必要であると言う。
しかし、現実は、経営陣の言わば「お目付け役」として機能する監査役会メンバー候補の半分は組合によって任命されるシステムとなっており、ピエフのような「コストカッター」の登場を阻んでいると言う。

今回の現代自動車の一件に象徴されるように、同族経営の元では、強力なリーダーシップが発揮される一方、権力の集中化とチェック・アンド・バランス体制の不備が生じ、一度、経営が失速し始めると、それを立て直すのは至難の業である。ここに、韓国経済の強さと弱さとが集約されているように思われる。
一方で、幾重にも張り巡らされた経営側への監視網の中で、経営側と従業員側との協調が重んぜられる欧州型の経営システムも硬直化の危険性をはらんでいる。
21世紀に求められる企業統治のあり方とは、果たして、どのように描かれるものなのだろうか。