PKN Orlen(オルレン)社はポーランド最大の石油精製会社として、同国を代表する多国籍企業のひとつとして君臨しつつあるが、本ブログでも度々指摘している通り、その経営には不透明かつ稚拙な部分が多い。

PKN Orlen社では、予てより、国外展開を積極的に推し進めており、5月24日には、倒産したロシアの石油大手Yukos(ユーコス)社が有していたリトアニアのMazeikiu Nafta(マゼイキュ・ナフタ)社の発行済み株式の53%を14億9000万ドルで買収している。
マザイキュ社はバルト三国で唯一の製油所を有しているので、確かに戦略上重要な企業であるかもしれないが、果たして、これだけの金額に値するだけの買い物だったのだろうか?

そもそも、ユーコス社は、2002年に同製油所の株式をわずか1億5000万ドルで買収、7500万ドルのローンを同製油所に対して供与することでリトアニア政府と合意したが、ローン返済を同国政府保証にさせることにまで成功している。
当時、ユーコス社は、シベリアに広大な油田を保有するYuganskneftegas(ユガンスクネフチガス)社を傘下に収めており、Mazeikiu製油所に対して年間500万トンの原油供給を約束することによって、破格の条件で同製油所を手中に収めたのだった。
石油の世界では油田を握っているものが一番強い、そんな単純な力学が最大限に発揮された事例であった。
しかし、その後、政治的野心を覗かせたユーコス社のハダルコフスキー社長がプーチンの怨嗟を買うようになると、同社は、突然、ロシア税務当局より多額の「税金滞納」を指摘されるようになった。これに追い討ちをかけるように、「虎の子」であったユガンスクネフチガス社の株式の77%がプーチンの肝いりで作られたペーパーカンパニー、Baikalfinance Group(バイカファイナンス・グループ)社に売却され、さらに、国営のRosnaft(ロスネフチ)社に売却されてしまった。
ハダルコフスキーは逮捕され、ユーコス社は倒産の憂き目に会うことになる。時を同じくして、マゼイキュ製油所では大変なことが起きていた。同製油所に対するロシアからの原油供給が減少し始め、2005年央までには、ほとんど供給がストップしてしまったのである。こうして、川上(油田)を抑えられたことにより、川下の製油所に至るまで、ユーコス社の事業は完全に麻痺した。

実は、ユーコス社側でも、プーチン政権の不穏な動きを察知して、それなりの対応策はとっていた。同社では、米国内にも資産を有することを理由として、2004年12月に米国テキサス州の連邦破産裁判所に同社の破産手続きの開始を申請するという「奇策」に出ていたのである。



マゼイキュ製油所のユーコス社持ち株は、ユーコス社の凍結資産としてニューヨーク南部地域破産裁判所(US Bankruptcy Court -Southern District of New York)の管理下に入り、来るべき同社株の売却解禁を狙って、TNK-BP, Gazprom, Lukoil, ConocoPhilips, KazMunaiGazと言った欧米系メジャー、ロシア企業、カザフ企業が水面下で動き出し、これにポーランドのPKN Orlen社も高い関心を示していた。2005年10月にモスクワ・タイムズ紙の取材に対して、TNK-BP社関係者が証言したところに拠れば、ユーコス社側は、マゼイキュ製油所の株式を10億ドル相当で売却する旨を伝えていたとされる。

このあたりから、