先日、中央統計局が発表した2006年5月末のポーランドの失業率は16.5%。もちろん、EU域内で最悪の数値である。しかし、昨年5月末時点での失業率(18.5%)よりは改善している。


ここへ来て、ポーランドの失業率の推移は、明らかな下降曲線を描き出している。
ポーランド人の雇用吸収の立役者となっているのは、①外資系企業による新規雇用、②低賃金の非正規雇用、③西欧への出稼ぎ労働の主として3つの経路である。
外資は、2004年末時点で、企業部門雇用の12.3%、固定資本投資の39.3%、総売上高の43.4%、輸出入のそれぞれ約60%を占めており、国民経済に絶大な影響を誇示するに至っている(中央統計局発表外資統計)。
ポーランド中銀によれば、2004年末のFDI(外国直接投資)累積額は、627億5900万ユーロに達し、チェコの445億9700万ユーロ、ハンガリーの414億1500万ユーロ、スロヴァキアの112億8100万ユーロと比較しても大きい。更に、ウィーン比較経済研究所が、今年6月にプレスリリースした最新予測によれば、2006年には、ポーランドへは70億ユーロのFDI流入が見込まれており、チェコ(40億ユーロ)、ハンガリー(40億ユーロ)、スロヴァキア(20億ユーロ)を大きく引き離すばかりか、資源大国、ロシアへのFDI流入予測額(120億ユーロ)と比較しても十分に遜色のない水準に達している。
一方で、ポーランドの一人当たりFDI累積額を見てみると、2005年末時点で、1835ユーロにとどまり、中欧諸国中では最も低い数値となっている(チェコ4932ユーロ、ハンガリー5133ユーロ、スロヴァキア2414ユーロ)。但し、裏を返せば、この事実は、ポーランドのFDI受け入れ余力がまだ十二分に残されていることも意味しており、今後とも、同国へは、潤沢な外国投資の流入が見込まれている。


同国南西部に位置する下シロンスク(下シレジア)地方は、FDI流入から絶大な恩恵を受けている地域の代表格である。戦前まで旧ドイツ領であり、古くから鉱工業が栄えた同地へは、最近の案件だけでも、ヒューレット・パッカード社、LG電子エレクトロラックス社、シーメンス社などの生産拠点・R&D拠点の開設が相次ぎ、同地方の中心地、ヴロツワフ市では、すでに失業率も10%近傍にまで下がっている。平均賃金が月に2500ズウォティ(約9万円)であるところ、月に1万ズウォティ以上(約36万円〜+高級外車タダ支給)は取るマネジャークラスの人材や大卒エンジニアの確保は、非常に困難な状態である。
更には、自動車修理工(slusarz samochodowy)、工業高校卒で工場の工程管理が出来る人材から大工(stolarz)、布張り職人(tapicer)に至るまで、人材不足が深刻化しており、手に職さえ持っていれば、下シロンスク地方では次の日から仕事に就くことも可能である。
最近では、ヴロツワフ近郊の大学新卒生の間では、会社面接時の就職試験、心理テストの拒否も見られるようになったという。
−Wie pan, mam juz trzy powazne propozycje pracy, wiec nie musze brac udzialu w panstwa quizach.
(良いですか、私にはもう3件の有望な就職話があるんです。それで、お宅の会社でクイズに付き合うなんてね)。


ただし、外資がやってくる地方はポーランドの南西部に大きく偏っており、それ以外の地域では、法定最低賃金の半額以下である400ズウォティ(1万4400円)の賃金で工場での非正規雇用に就いているような人もザラにいる。中央統計局の試算によれば、現在、労働者の5人に1人までがグレー雇用、つまり、非正規雇用に就いているとされる。
ドイツへと抜ける高速道路を間近に控えるノヴァ・スルも、そんな失業と貧困に打ちひしがれた町である。
同地には、社会主義時代には、オドラ縫製工場、ドザメト(Dozamet)機械工場があったが、体制転換後に工場は閉鎖となり、実に、地域住民の5人に1人に当たる9000人が失職した。町は200ヘクタールの更地を用意して投資家を待ち続けており、去年、ブリヂストン社が本社副社長を筆頭に同地を視察した際には、町中が色めきたった。しかし、ふたを開けてみれば、ブリヂストン社は同地ではなく、競合の韓国タイヤが大型投資を仕掛けるハンガリーへの進出を決定し、同様に、コルゲート社はヴロツワフへの進出を決定した。
ここへ来て、ポーランドの地場系自動車部品メーカーであるグロツリン(Groclin)社が同地への進出を決定し、自動車用ソファの生産を当て込んで、旧オドラ縫製工場を解雇された失業者の雇用を行う模様であり、町にも一条の希望の光が差してきているように見える。
しかし、この工場とて、低賃金での労働が強いられることは目に見えている。
ノヴァ・スルの若者のほとんどは、学校を卒業すると同時に西欧に出稼ぎに出て、故郷に戻ることはない。


さて、現在、ポーランド人単純労働者に労働市場を完全開放しているEU加盟国は、英国、アイルランド、スペイン(今年5月から)、ギリシャ(同)、オランダ(2007年1月から)等であるが、労働省の推計によれば、今後2年間でさらに200万人ものポーランド人が西欧諸国へと何らかの形で雇用を求めて出国するという。このうち、少なく見積もっても、1/3は移民として二度とポーランドの地を踏まない人々になると見られている。
例えば、西欧で運転手の職に就きさえすれば、ポーランドの5−6倍の賃金を得ることが可能であるといわれている。ポーランド人に対していち早く労働市場を開放した英国では、2004年5月から2006年3月末までの間に23万人のポーランド人が移住し、何らかの職に就いている。これはEU新規加盟国から英国へと流入した労働者(39万2000人)の実に61%をも占める数値である。
無論、ある程度の移民圧力が懸かっているうちは、それだけ、国内での失業問題も緩和されることになる。


ポーランドを代表する経済研究所である社会経済分析センター(CASE)では、今後10年間にわたってGDPの年平均成長率が4%に達し、EUからの補助金を有効に活用できるとの仮定の下で、10年後に失業率を現在の半分の水準(10%以下)にまで誘導することが可能であるとの試算を出している。
それでも、労働市場をめぐっては、上記で見たような地域間の深刻な格差が残されると思われる。仮に、ここで、地域間の大規模な労働力移動が生じれば、地域間の格差も解消に向かっていくと思われるが、ポーランドを含めた旧社会主義国では、住宅の所有関係が複雑であり、仕事を求めてひとつの町から別の町へと気軽に移住できるような仕組みがまだ整っていない。


そもそも、社会主義時代には、将来の住民となる者が土日、あるいは勤務時間終了後に集合住宅建設に無償で参加する代わりに、落成の暁には、破格の値段で住居を手に入れられるなど「労働者の国」らしい制度があって、住宅価格もかなりの程度、恣意的に決められていた。現在でも、多くの家庭が、必ずしも、資産価値に見合った金額を家賃として納めているわけではない事の所以はこの辺りにある。


こうしてみていくと、ポーランドの失業問題の解決が、地域産業の振興や外資誘致にとどまらず、不動産市場の発展・整備など、市場経済の成熟化が進行しなければ、解決の糸口を掴むことも覚束ないような問題とも密接に繋がっている実態が明らかになってくる。


同国の失業問題をめぐる「ゴルディオスの結び目」が解ける日がやって来るのは、まだまだ先のことであるようだ。