9月6日水曜日夕刻、ワルシャワ・オケンチェ空港にて、595グラムのヘロインをマトリョーシカ人形に紛れ込ませてポーランド入国を果たそうとしたかどで、キルギスの反体制派政治家、オムルベク・テケバイェフ(48歳)が現行犯逮捕された(ガゼタ・ヴィボルチャ紙9月9日号)。


2005年春のチューリップ革命以来、キルギスでは、新しく政権を組織したクルマンベク・バキイェフ大統領とテケバイェフ下院議長との間で、政策路線を巡って激しい対立が続いているとされる。テケバイェフはバキイェフの政治路線を「何でも急ぎ過ぎ」であると批判しており、大統領をしてイヌ呼ばわりして罵る(zwymyslal go od psow)までに両者の関係は険悪化しているという。
ただし、国会の中でも親テケバイェフ派は強力なグループを形成しており、テケバイェフがワルシャワで逮捕されたとの一報が入るや否や、ただちに国会内には事件解明特別委員会が結成され、親大統領派の秘密警察が、首都ビシケクの空港でテケバイェフの旅行鞄を一時的に持ち去り、約15分後に元の場所に戻す姿がはっきりと映し出されているビデオの押収に成功した。


結果として、このビデオ映像も決め手となって、ポーランド当局が開廷した即席法廷にて、「テケバイェフが旅行中に自分の鞄に手を触れることは不可能であったこと」を理由として、彼の身柄は、金曜日には無事、釈放の運びとなった。
奇妙なことは、法廷における国境警察隊の証言から、インターポールからの通報により「テケバイェフは国際テロ指定組織ヘズブ・ウト・タフリル(Hezb ut-Tahrir)のメンバーであり、ポーランドを目指して移動中である」旨の情報をポーランド当局が事前に得ていたことが明かされたことである。
更には、同法廷裁判官は、この怪情報は、カザフスタンの首都アスタナからもたらされ、「(テロリストの)一行は、カザフスタンウズベキスタンあるいはキルギスからポーランドへ入国する」ことになっていたと述べたと言う。


これに触れて、当のテケバイェフは、「全ては、バキイェフ大統領下の秘密警察が、自分達の関与をベールに包ん(zawoalowac)でおくためにやったことだ」と発言している。
それにしても、いかにテロが恒常化の兆しを見せている現在にあったとしても、インターポールともあろう国際組織が、キルギスの秘密警察が政敵潰しの目的でリークした情報のウラも取らずに、関係国官憲に直ちに通報を行うなどということがあるのだろうか?
いろいろと謎が残る事件である。


さて、そもそも、テケバイェフにとって初めてとなるはずであった今回のポーランド訪問の目的は、同国南部のクリニツァで開催された「中央アジアにおける民主的変化に関する有識者パネルディスカッション」へ参加することにあった。
ウクライナオレンジ革命において、当時のクファシニェフスキ大統領が、EU、米国の命を受けて、仲介に当たった頃をひとつの契機として、ポーランド政府は旧ソ連諸国の民主化市場経済化に、自らの実力以上の深いプレゼンスを発揮するようになってきた。
各国の大使館が軒を連ねるワルシャワのウヤズドフスキ通りでも、ひときわ規模の大きな邸宅を独り占めしているのは、OSCE(欧州安全保障・協力機構)である。
ワルシャワが、思惑の違いこそあれ「民主主義の輸出」による旧ソ連諸国の安定を図りたいEUと米国にとっての「最前線基地」としての役割を負わされていることが如実に示される光景である。


テケバイェフが帰国の途に就いた8日金曜日にも、ワルシャワ中心部のポニャトフスキ橋では、ベラルーシからの留学生が「ルカシェンコ大統領打倒」を謳ったデモ行進を行った。彼らが振る白地に赤い横縞が入る民族旗は、ベラルーシ国内では禁止されているものだ。
ワルシャワの街を歩いていても、注意深く観察さえすれば、あちらこちらで、反ルカシェンコの落書きやベラルーシの反体制派が撒いていく様々なビラや檄文の類を目にすることができる。


個人としては、ポーランド旧ソ連諸国の自由化に必要以上の介入を行っていることが、必ずしもポーランド国益に合致するとは思っていないが、ポーランドの政治家はどこかで大きく足をさらわれるまで、EUや米国のお先防担ぎを自ら買って出て行くことを続けていくような気がする。


私には、何か似たような姿が、この国の過去の亡国期にもあったような気がしてならないのである。