不思議の国ベラルーシで露ガスプロム社との協議の結果、ガス価格が2倍近くに引き上げ(1000㎥あたり46.68ドルから100ドルへ)されてからひと月近くが経った。今回の措置により、ベラルーシ経済への直接的な影響はどれほどあるのだろうか? CIAワールドファクトブックによれば、2004年に同国は推計で162億2000万㎥のガスを輸入していた。この数字を元に計算すると、ベラルーシにはガス価格の上昇に伴って、年間8億6500万ドルの追加支払いが今年から生じることになる。


ただし、ガスプロム社との同意の中には、同国の欧州向け天然ガスパイプライン運営会社であるビェルトランスガス(Bieltransgaz)社の発行済み株式の50%をガスプロム社が今後4年間で購入するという条項が含まれている。ビェルトランスガス社の株式の50%はすでに25億ドルでガスプロム社が買収済みであるから、単純計算すると、向こう4年間でベラルーシは年間6億2500万ドルの支払いを受けることになる。これを勘案すると、ベラルーシのガス料金追加支払額は2010年までは、年間で2億4000万ドルの増加のみで済むことになる。
同国の外貨準備額(金備蓄含む)は2006年に僅か13億2900万ドルであるところ、対外債務は同5億5000万ドルに達していると見られており(CIA)、この金額負担増とてベラルーシ経済にとっては大きな痛手となるが、現状は「ガス料金が2倍になったから、出て行くドルも2倍になった」という程の大事ではない。


ところが、現地からの報道を見ていると、今回のガス料金値上げがベラルーシの一般国民の間に大きな波紋を投げかけている様子が垣間見られる。ガゼタ・ヴィボルチャ紙の記者が、ポーランドベラルーシ国境近くの要衝フロドノからリポートしているところによると、すでに市中の両替所では、市民のベラルーシ・ルーベル売りが嵩み、ユーロ、ドルの外貨紙幣が底を切らせているという。*1
このところ、ベラルーシでは物価高も進行しており、ガソリン価格はすでに2100ルーべリ(約1ドル)となり、ベラルーシよりも格段に所得水準の高いリトアニアの水準に近づいているほか、ガス価格は20%の値上げ、公共住宅の家賃は月当たり5ドル〜10ドルほど値上がりし、2部屋タイプで約60ドル、3部屋タイプでは約80ドルとなった。都市部の割りのいい仕事で月給180ドル、農村部では同80ドルを超える職はほとんどないと言われている中で(公式統計では平均賃金272ドル)、これらの負担は市民の肩に重くのしかかる。


現在まで、ベラルーシ経済はロシアからの安いエネルギー供給をはじめとする様々なチャンネルを通じての補助金により、中央計画経済的な経済システムを壊すことなく、2005年には9.2%(EBRD)、2006年にも8.3%(CIA)という高い経済成長率を享受してきた。ベラルーシ国民は、贅沢さえ言わなければ、年金・賃金も保証され、安い公共サービス料金のもとで日々の生活を送ることができており、この事実こそが、ルカシェンコ大統領による権威主義体制が13年間も継続している最大の理由ともなっている。しかしながら、同国を代表する独立系エコノミストであるスタニスラフ・ボフダンキェヴィチは、エネルギー価格の値上げによる経済成長の鈍化が2007年末から始まり、2008年中には本格化するのではないかと見ており、同国の物価高は深刻化の兆しを見せ始めている。


さて、長らく、「白ロシア」として知られ、ソ連/ロシアからの独立運動もほとんど見られなかったベラルーシが独立に踏み切った端緒として、1991年の食料品価格の引き上げに伴う首都ミンスクでの10万人規模の民衆デモが指摘されている。ポーランドでも、グダニスクから連帯運動が沸き起こった背景として、国際的な海港であった同地から当時の共産政権が「飢餓輸出」とも取れるような、外貨獲得のための対西側輸出を行っていたことに対する民衆の怒りが爆発したことを指摘する向きは多い。
一度、ベラルーシで物価上昇をきっかけとする民衆デモが劫火のように広がった場合、親西欧・ポーランドの民主政体が誕生することも十分考えうる。このような事態を許せば、ロシアとEUとの間の貴重な「緩衝国家」を失うこととなり、ロシア外交にとっては大きな失点となろう。


実は、先に見たベラルーシ政府とガスプロム社との合意には、2011年からは、ベラルーシに対するガス供給価格を欧州並みに引き上げるとの条項も含まれている。穿った見方をすれば、プーチンベラルーシのガスパイプラインを完全に掌握した暁には、いよいよ現ルカシェンコ大統領を切る覚悟でいることを暗示しているとも取れるだろう。
モスクワがルカシェンコの後釜として、親ロシア派の大物政治家の擁立を考え始めていると見ても不思議はなく、ロシアは当面の間、ベラルーシ民主化補助金のバラマキによって阻止し続けるのではないかと私は見ている。

*1:ベラルーシ・ルーベルの相場事態はまだ安定している。ブルンバーグによれば、2005年の平均為替レートが1ドル=2150ルーベルであったところ、2006年2月2日現在では2143ルーベルとなっている。ただし、インターバンク市場でのレートと市中のレートとが乖離し初めている事態は考えうる。