好調な経済発展を続けるポーランドにあって、現政権与党によるユーロ懐疑論(ユーロスケプティシズム)が、その将来に暗雲を投げかけつつある。そもそも、将来のユーロ導入は、ポーランドのEU加盟条件の一つに含まれていたのだが、ここに来て、カチンスキ大統領はユーロ導入にあたって国民投票の実施を示唆し、さらに、スワヴォミル・スクシペク新中銀総裁も今年2月、ユーロ導入は2013年以後となると発言するなど、政権によるユーロ懐疑論がエスカレート化の兆しを見せている。


さて、ユーロ導入を遅らせることによるデメリットとして、2月9日付けのガゼタ・ヴィボルチャ紙は、①(ポーランド通貨ズウォティ高が進行することにより)ポーランドEUから受け取る補助金ズウォティ換算で目減りしてしまうこと、②ユーロ導入国で構成される俗称「ユーログループ」がEUの経済政策をリードしており、ユーロを導入しなかった場合、ポーランドの発言力が弱まってしまうこと、の2点を挙げている*1
①の点に関していえば、ポーランドは経常収支の赤字を資本収支の黒字でカバーするという典型的な「外資依存経済発展モデル」型の対外経済構造を有しており、自国通貨高の進行を抑止することが困難な対外経済関係を有している。


つまり、ポーランド経済を牽引しているのは、旺盛な外資による直接投資(FDI)であり、同国の主力輸出産業(自動車、電子機器、家具)にはあまねく外資が浸透しており、外資ポーランド拠点は世界的な生産フラグメンテーションの枠内にしっかりと組み込まれている。ところが、同国には外資の世界基準での生産ラインに投入できるような機械、設備を生産できる企業は少なく、勢い、資本財の輸入が増大することとなる。かつ、外資ポーランド拠点の多くでは、高付加価値製品の生産を手がけている場所はまだ少なく、高価な核心部分のパーツは西欧、日本、韓国その他からの輸入に頼りつつ、現地で組み立て生産を行っているケースがほとんどである。


すでに、ポーランドの輸出入の6割以上は外資系企業によるものであり、外資は同国の産業発展に大いに貢献している一方、外資は資本財・部品の輸入も活発に行うことから同国の貿易赤字形成の要因ともなっている。一方で、外資は、相次ぐ工場の新設・増設、サービス産業への浸透などの直接投資を盛んに行い、莫大な外貨を毎年、ポーランドにもたらしている。ここで、外貨からポーランド通貨への両替需要が大量に発生することから、同国通貨ズウォティは切り上げの一途をたどることとなる。2005年あたりから急速に進行しているポーランド通貨高の背景を大雑把に説明すると、以上のようになる。


ズウォティ高によって当然、輸出は打撃を受けるものの、その分、先に述べた資本財や部品の輸入は安くできるようになるわけであり、その効果を一概に述べることは難しい。ただし、外資製造業の場合、為替変動分を対西欧比で1/4程度といわれている安い労働コストでまだまだ吸収できている部分が大きい。


むしろズウォティ高の悪影響を諸にこうむっているのは、まだ、西欧マーケットでのブランド力に乏しい地場系資本による輸出産業(グロツリン=Groclinなどの自動車部品メーカー、ゼルマー=Zelmerなどの家電メーカー、アニメックス=Animexなどの食肉加工・輸出業者に代表される)であろう。最近では、有力な地場系輸出業者の多くは、歴史的・民族的なつながりが深いウクライナへ工場を移転したり、中国での生産に踏み切るなど、為替高に対して、それなりの対応策を打ち出し始めている。


そうなると、ズウォティ高で最も割を食っているのは、なんと、現政権与党の支持基盤として重要な農民層であるというのがヴィボルチャ紙の主張だ。つまり、土地から離れることができない農民は、ユーロ建てで算定されるEUからの直接補助金の受取額が自動的に目減りしてしまうという憂き目にあわされているというのだ。EUからのポーランド農民向け直接補助金の額は、2004年にEU15カ国平均の25%からスタートし、2005年以降は毎年、10%ポイントずつ増額されることとなっているが、今般の急激なズウォティ高により農家ではEU補助金の増額をほとんど実感できていないという。
さらに、これまたユーロ建てで換算されるポーランドへのEU資金の受取額もズウォティ換算した場合、目減りしてしまうこととなり、為替差損分のプロジェクト費用はポーランド政府の追加負担となる*2


それでは、ポーランドが肝心のユーロ導入条件を満たしていないのかと言うと話はまったく別である。
ユーロ導入条件の一つに財政赤字を対GDP比3%以内に抑えるという項目があるが、2006年には、ハンガリー(10.1%)、ポーランド(3.7%)、チェコ(3.5%)、スロヴァキア(3.5%)(いずれも欧州委員会見通し)となり、好景気の持続による歳入アップも見込まれる中で、ポーランド政府がその気になれば、財政赤字の縮小を行う上でのハードルは大変に低くなっている。
インフレ率を見てみても、スロヴァキア(4.3%)、ハンガリー(3.5%)、チェコ(2.2%)、ポーランド(1.2%)となっており、同国は、ユーロ導入条件(2.8%)をかなりの余裕を以って満たしている。


これと対照的なのは、バルト諸国であり、いずれもユーロ導入を早くより渇望していながら、高いインフレ率(ラトヴィア:2007年1月に前年同月比で7.1%、エストニア:2007年1月に同5.1%、リトアニア:2006年12月に同4.5%)に阻まれて、ユーロ導入時期を遅らせることを余儀なくされている。


これら諸国は、いずれも小国開放経済であり、とりわけ2004年5月のEU加盟以降には、旺盛な個人消費、銀行貸出の増大、外資流入が三つ巴となって高い経済成長率(2006年第3四半期には、エストニア11.3%、ラトヴィア11.8%、リトアニア6.3%。世銀)を享受しているものの、経常収支バランスの悪化が危険水域に入ってきており(2006年第2四半期にラトヴィア−15.8%、エストニア−11.0%、リトアニア−9.0%)、「(マクロ)経済のオーバーヒートが不動産価格バブルを生み出している」(世銀EU8+2定期経済レポート2007年1月版)状況である。


バルト諸国では、バブル経済化している国民経済を急激な金融政策の引き締めによるショック療法で潰してしまうことなくソフトランディングを図っているが、政府首脳の本音としては、小国開放経済ゆえに自国通貨高を抑制することはもはや自分たちの手に余ることであり、ユーロの早期導入による自国通貨の消滅こそが唯一、自分たちが高度経済成長を維持するための道である、と達観しているようにも見える。


翻って、ポーランド政府がユーロ導入をなるべく遅らせようとしている理由を探ってみても、どうも、その真意がよく掴めないところがある。ユーロ導入を遅らせる理由として、「わが国のような移行期にあって早急なキャッチアップを必要としている国では、金融政策の自立性を維持し、政府がインフレ率をある程度コントロールできるような体制に置いておくほうが、国民経済の将来にとって有益である。」というような教科書に書いてあるような説明でも良い、何か、具体的なコトバが政府中枢部から発せられない姿は不気味である。


本ブログで何度か指摘しているように、カチンスキ妖怪兄弟の政治の真骨頂は、「国民をぬるま湯化したポピュリズムの中にどっぷりと漬けておき、国の外部からやって来る(と彼らが想定している)脅威をあいまいな言葉で語り続けることにより、国民の不安を煽っていく戦術」にある。


今回の国際金融畑とは縁もゆかりもない新中銀総裁の選出といい、ユーロ導入へのむしろ本能的とも言える政権側の警戒感といい、いよいよ、法と正義による政権運営ポーランド経済の腰を折るシナリオが現実化し出したのではないかと思われてならないのである。

*1:②の点に関しては、ガセタ紙では、2006年初に「ユーロ導入国でない」ポーランド政府とチェコ政府とが低率VAT税率が適用される商品・サービスの拡大を訴えた際に、ユーロ導入国=ユーログループの反対に合い、エコフィン(欧州経済相・蔵相会議)の場で討議の対象とすらならなかったエピソードを例としてあげているが、そこにはもっと違った政治力学が働いていたのではないかと思われる。

*2:ただし、ガゼタ紙も指摘しているように、仮に、ズウォティ安局面を将来迎えた場合にも、EUからの補助金受取額が自国通貨建てで自動的に増大してしまうこととなり、今度は、EUから補助金の消化率が悪いことを批判される可能性も出てくるとも言え、ここに、「援助受け取り国家」としてのポーランドならではの為替政策上のジレンマがある。