日曜日、新進気鋭のメキシコ人映画監督、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの「バベル」を見た。テアトル・マウィ(小劇場)でやっている「ポドゥシチェル」(まくら男)という最近話題の新劇との間で迷ったが、なんと言っても、役所広司が出ている映画と言うことで、一も二もなく映画館へ。

バベルは、グローバリゼーションとは何かを考えさせる映画だった。モロッコの片田舎、東京、サンティアゴ、米墨国境地帯の砂漠、4つの全く接点を持たなかったはずの土地が不思議な運命で結び付けられていく。
そこにあるのは、現代のバベルの塔に住む人間の姿。登場人物は互いに言葉を通じ合わせることができない、あるいは、言葉が通じても心を通じ合わせることができない。
南北格差という古くて新しい問題が、グローバリゼーションの進展によって、持てる者と持たざる者との間の埋めることのできない距離として、却って今まで以上に鮮明に可視化されてくる。更に、「テロとの戦い」というキーワードが、元からあった南北問題の行く末に暗い影を投げかけるようになった。この辺りが、監督が作品を通じて伝えたかった最大のメッセージであるように思われる。
映画の中で、貧富の格差という問題を、悲しい離別と共に理解していくアメリカ人の幼い兄と妹。
私達が普段何気なく暮らしている日常の中にも、外国人との接点がどんどん増えて、そのことによって、ある日突然、自分の運命が大きく左右されるかも知れない。
そんな全く新しい時代に私達が生きているのだと言うことを、改めて思い起こさせるような映画だった。

さて、イニャリトゥ監督の描く東京は、オフィスビルの光瞬く美しい夜景の世界だ。携帯電話どうしのビデオ通話の場面が挿入されるなど、ハイテクにあふれた先進都市としてのイメージが全面に打ち出されている。こういう映画を見て、日本に対して、強い憧れを抱く若い世代の外国人も増えて来るかもしれない、ふと、そんな事を思った。