【コロナウイルスと封筒】ポーランドでは、コロナ騒ぎを受けて、「危機対策のための盾」法と名付けられた包括的な救済パッケージが発表されたり、他のEU諸国同様、市民生活に様々な制限が加えられており、統制下での立法を追うだけで大変な状況にある。ここへきて、5月の大統領選挙は封書のみで行うという法律が下院を通過し、いよいよ、事態は「法のインフレ」とも呼べる状況に近づいてきた。

「法のインフレ」という言葉を筆者が知ったのは、2005年に岡山大学の田口雅弘教授が『ポーランド体制転換論』を上梓した時だった。

当時、ポーランド政府奨学生としてワルシャワ経済大学への「就職」(形式上は講師見習いとなり、教授が利用する特別食堂にも出入りできる)が決まった小生は、「社会主義とは何だったのか」という解けない疑問を胸に、秋が深まるワルシャワで同書を何度も読み返したものだった。

田口教授によれば、「法のインフレ」とは、「省庁が省令・通達を乱発し(法のインフレーション)、一連の改革法案を官僚的調整になじみ易いように独自に解釈・運用していくため、改革の趣旨が骨抜きになる。社会主義政権は伝統的に成長志向型で、分権化、市場化などのシステム改革は経済政策になじまない」(同書65ページ)と説明される。

実は何度もあった社会主義共産党の独裁政治)に市場経済カニズムを取り入れようとする試みがなぜ失敗してきたのかを説く部分にこの言葉があった。

 

今回の「封書投票法」のニュースを読み、長く忘れていた「法のインフレ」という言葉が茫洋と浮かんできた。

封書投票法とは、今年5月に実施される大統領選挙の投票方式を封書のみ認め、「選挙が行われる日曜日の午前6時から午後8時までの間、有権者は各地方自治体に特設されたポストに封書を投函することにより投票を行う」という奇妙な条文があることから来ている。

そこまでして、今年5月という大統領選挙の期日を守る必要があるのかという疑問もあるが、ポーランド憲法では、大統領選挙は「その任期が切れる100日前から行うことができ、遅くとも任期終了日の75日後までに行う事」と決められており、こうなると、日曜日に行われることになっている大統領選挙の日取りは、4月28日、5月3日(ポーランドでも憲法記念日)、5月10日、5月17日のいずれかしか選択肢がない。

もう少し、やりようもあったようにも思えるが、憲法上の縛りがある以上、仕方のない措置であったのかもしれない。

注目されるのは、同法には大変厳しい罰則規定が付随している点である。

なんと、投票用の封筒を盗んだもの、ニセの投票封筒を投函したもの等には、最高で3年の禁固刑が設定されている(下院の案)。

ちょっと行き過ぎではあるまいか。

 

並行して、フェイクニュースとは分かったものの、今週日曜日には、「裁判所、行政機関からの書状を郵便職員が職権で勝手に開封し、スキャンを取って名宛人の電子メールに送付すれば、行政文書が送達されたことにする」というトンデモ法案を与党が準備しているという報道さえあった。

コロナにより、人権を過度に抑圧する法律が今後できないか不安にさせるような内容ではあった。

 

さて、話は飛ぶが、裁判所への上訴についても期限が厳しく設定されているのは、どこの国でも同じであろう。

ポーランドでは、日本の刑事の略式命令に当たる「略式判決」(ヴィロク・ナカゾーヴィ)という制度があり、状況証拠と照らし合わせ、犯罪の動機、事実が明確である場合によく利用されている。

例えば、刃物を持って街中で金品を強奪しようとしているところを警察に捕まった(しかし怪我人はいない)などの状況であれば、略式判決が出て、罰金刑で済まされる場合もありうる。

この略式判決は、卑しくもポーランド国家の名前で出される正式な判決文であるので、異議がある場合には、判決を受け取ってから7日以内に判決を出した裁判所に対して上訴することと定めてある(刑事訴訟法典506条1項)。

上訴が受理された場合、被疑者に対して出された略式判決は取り消され、一般のルートに従って公判が開かれる。

もちろん、そうでない場合には、最終的な判決として法的効力を伴うものとなるので、受け取る方も大変である。

そこで、略式判決と一緒に出される教示文(ポウチェーニェ)には、以下のような例外規定(期限内に送達されたものと見なす場合)が列挙されている:

 

  • EU域内で書信の受け渡しを行っている事業所の窓口において送達がなされた場合、 
  • 兵士により軍組織本部において送達がなされた場合。ただし、国内軍務に就いている兵士は除外する、
  • 行政機関の適切な拘置場所にて自由を拘束されている個人により送達された場合、
  • ポーランド船籍の海洋船の船員がその船長に対して手交した場合。

 

ポーランド国内のみならずEU圏内の郵便局から出したものであれば7日以内であればOK、さらに外国にあるポーランドの公使館で出してもOKと、なかなか興味深い。

 

ポーランド語では公的文書の手交のことを「ドレンチェーニェ」と呼んでいるが、小生も当地にて法学部(夜間部)で学んでいた折、この単語が頻繁に出てきて閉口した記憶がある。

 

当時は次から次へと襲ってくる試験に追われ、この制度の「奥深さ」を味わうこともなかったが、今こうして、コロナ禍により物事の動きがゆったりしており、こんな考えを巡らすことが出来るのだとすれば、これこそ、「けがの功名」であるのかも知れない。